Nina Simone(2)
ユニークな音楽的背景
ノースカロライナの田舎町に生まれ育ったニーナ・シモン(本名ユーニス・ウェイマン)は、幼少よりピアノの才能を認められ、クラシックの演奏家をめざしてトレーニングを積んだ。やがてNYの名門音楽院に進み、さらに上級校への進学をめざす傍ら、夏休みにバイト気分で始めたのが、ナイトクラブでの弾き語り。夜の仕事が母親にバレないよう、ニーナ・シモン(語感としては〈シモーン〉に近い)と名乗るようになったのはこのときからだ。
幼少時の彼女は兄姉らとともに、勤勉で聡明な両親のもとに育ったが、牧師でもあった母親は敬虔にして厳格。家庭で愛聴したのは、霊歌も得意とした黒人クラシック歌手のマリアン・アンダソン。ウェイマン家では、リズム&ブルース系ラジオでダンス、なんてのは御法度だったのかも。けれどもゴスペルはやはり身近で、6歳で教会の専属ピアニストになった彼女は、そこでリズムや即興や、彼女の血肉になったという〈非常に重要なあるテクニック〉を学んだと、自伝「ニーナ・シモン 自伝」にて回想している。
だが、その自伝(邦訳あり/おもしろい!/復刊祈願!)でも、ゴスペルを過度に祭り上げたりはしない。目標はあくまでクラシックのピアニスト。それは、バイトで歌ったポップスやフォークなどが評判を呼んで、レコード・デビューが決まっても同じこと。デビュー・アルバム『Little Girl Blue』や、全米トップ20入りした“I Loves You Porgy”のギャラも、学費にあてるつもりでいた。
こうして見ると、デビュー以前のニーナの音楽経験は、一般的にイメージされるブラック・ミュージック的な共有体験とは、重なる部分が少ないように思える。だが本当にそうだろうか。
- 前の記事: Nina Simone
- 次の記事: Nina Simone(3)