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特集

George Michael(3)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年04月22日 18:00

更新: 2004年04月22日 18:36

ソース: 『bounce』 252号(2004/3/25)

文/出嶌 孝次

ソロ転身……駆け足の成功

 ワム!解散後の彼は、まずアレサ・フランクリン初の白人デュエット・パートナーとして、彼女の“I Knew You Were Waiting(For Me)”に全米チャート1位を献上。そして、ワム!解散後初めてのソロ・シングル“I Want Your Sex”では直截的な歌詞とプリンスばりのデジタル・ファンクを披露し、世間の度肝を抜く。87年11月に登場した初のソロ・アルバム『Faith』はそれに輪を掛けて野心的でシャープ、かつヴァラエティーに富んだ作品となった。シンプルなジャングル・スウィングの“Faith”、R&Bチャートでも首位を射止めた“One More Try”、本格的なジャズ・ヴォーカル曲“Kissing A Fool”など……。加えて強烈だったのはヴィジュアルだろう。無精髭にサングラス、そしてレザーに身を包んだワイルドなルックス。長らく自分がバイ・セクシャルだと思っていた彼は、この頃になると自身の同性愛を自覚していたそうだ。なお、『Faith』は全世界で2,000万枚のセールスを記録、翌年のグラミーも総ナメしている。

 しかしながら、ポップスターとしての充足は次第に内省へと彼を向かわせる。絶大な待望感のもとで切って落とされた第二幕のオープニング・シングル“Praying For Time”はビターな諦念が吐露された美しいバラードだった。そして“Freedom '90”だ。ジョージ本人が登場しない同曲のプロモ・クリップは、革ジャンがメラメラ燃え、ギターやジュークボックス(それらは“Faith”のプロモ・クリップで用いられたものだ)が爆発~炎上するという示唆的なもので、つまりは早くも前作の成功に訣別が告げられたのだった。ジョージいわく「あえてR&B色を抑えてみた」というセカンド・アルバム『Listen Without Prejudice Vol. 1』は賛否両論を巻き起こす。だが、90年代のジョージを待ち構えていたのはそれ以上の困難だった。

 まずジョージは、91年よりカヴァー曲のみを歌う、その名も〈Cover To Cover〉なるツアーを敢行している。そこからはエルトン・ジョン本人を迎えた“Don't Let The Sun Go Down On Me”のカヴァーがシングル化され、全米/全英共にチャートを制覇。当初は『Listen Without Prejudice Vol. 2』のリリースもアナウンスされたが、結局そのアルバムが世に出ることはなかった。途中、エイズ・チャリティー盤『Red Hot+Dance』に新曲“Too Funky”などを提供し、〈フレディ・マーキュリー追悼コンサート〉では“Somebody To Love”をフレディが憑依したかのような絶唱で聴かせている。が、当時彼がレーベルに不信感を抱き、プロモーションの一切を拒絶していたこともあきらかになった。

 そして、ジョージ本人の思いとレーベル側の意向が折り合いを見ることはなく、作品のリリースは途絶えてしまう。が、93年のライヴ・ミニ・アルバム『Five Live』(クイーン、リサ・スタンスフィールドの連名)が易々とヒットを記録したように、リスナーの希求ぶりはあきらかだった。最終的に、93年10月にジョージはワム!時代に交わした契約の破棄を求めてソニー・ミュージックを相手に訴訟を起こすのだが、9か月後には敗訴の判決が下る。控訴はしたものの、2年先の再審まではレコードのリリースができなくなり、逆転勝訴の見込みも薄い……。そんな失意の94年末には〈MTVヨーロピアン・ミュージック・アワード〉でおよそ3年ぶりの新曲“Jesus To A Child”を披露。これはエイズで死んだ恋人のアンセルモ・フェレッパに捧げたものだった。彼の内面にはさまざまなものが渦巻いていたのだ。

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