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特集

小西康陽(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年04月01日 11:00

更新: 2004年04月01日 19:17

ソース: 『bounce』 193号(0/0/0)

文/安田 謙一

ピチカート・ファイヴ・ストーリー

 1959年2月3日札幌に生まれる。84年のクリスマス・イヴにピチカート・ファイヴを結成。翌年、細野晴臣のプロデュースによりノンスタンダード・レーベルから12インチ・シングル“オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス”でデビューする。当時、小西が歌謡研究誌「リメンバー」に寄せた原稿などから筆者も、その他人とは思えぬマニアックな嗜好に関心を寄せていたが、はっきりと輪郭を伴って小西康陽という個性を確認したのもこの頃。佐々木麻美子、高浪慶(敬)太郎、鴨宮諒との4人編成でのライヴは、映画「サムシング・ワイルド」にカメオ出演しているフィーリーズみたいに初々しいアート・スクール・バンド的風貌だったが、いざ曲が始まると、小西のイカれたダンスがその空気をかき乱す。マラカス振って踊り狂う彼の姿を思い出すとき、ウェルメイドへの指向と同時にそれを壊しちゃう衝動、両方をそのときの彼にすでに感じていたような気もする。なにせ“オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス”のティンパニは梅宮辰夫“ダイナマイト・ロック”からの引用、なんて女の子のファンにはパッシング・バイされるようなこと言ってましたし。

“アクション・ペインティング”という12インチをもう一枚ノンスタンダードに残した後、87年にはソニーに移籍。ファースト・アルバム『カップルズ』を発表。ほとんどの人の視界に存在しなかったバート・バカラック、トニー・ハッチ、ロジャー・ニコルズら60~70年代の職業作曲家たちへの憧憬を具現化した本盤。いまでこそエヴァーグリーンとしか呼びようのない名盤ではあるが、バンド・ブーム全盛期の当時の、時代との軋轢、というか摩擦すらも起こし得ない位置に存在したこのアルバムを評論家の高橋健太郎は「彼らは〈ロック〉という言葉のまわりをとても正確に避けて音楽を作ろうとしているように思える」と評した。

 そして翌88年の『ベリッシマ』。新たに田島貴男を迎え、高浪と3人になったピチカートが作り出したソウル・アルバムは、それほど多くはなかったが熱心な『カップルズ』愛好者を戸惑わせるのに十分な転身(?)であった。いまにして思えば、このときからすでに、どんな形で何をやろうともピチカート・ファイヴという認識をファンは持たざるを得なかった。げにピチカート・マニアはタフで、マゾ的である。アルバムでは初めて信藤三雄を起用したジャケット・デザインも特筆ものだ。

 89年の『女王陛下のピチカート・ファイヴ』は当時、小西も編集に加わった雑誌「VISAGE」のジェイムズ・ボンド特集号をバンドにまるごとフィードバック。細野晴臣でいえば『トロピカル・ダンディー』、あがた森魚でいえば『乙女の儚夢』のように、小西は内宇宙的嗜好を一気に放出した。この辺りから〈加速〉は始まっていたような気がする。すでにナラティヴの手法も披露している。

 続く90年には、全曲別アレンジによる新録のベスト盤『月面軟着陸』を発表。リミックスという言葉がまだ一般的にはダンス音楽化、という意味に限定されていた頃、その多種多様な素材のマッドなエディティング(ザッピング?)は極めて刺激的だった。サーフィンからアヴァンギャルドまで、はビートルズの〈ホワイト・アルバム〉のオビ文句だけど、本盤はそれを凌ぐ幅広さ。田島から野宮真貴へのバトンタッチ的曲となったシングル“ラヴァーズ・ロック”(ソニー時代唯一のシングル、というのも凄い話)は一見地味な佳曲ではあるが、その後何度も〈ヴァージョン〉として登場、それからの〈リミックス〉時代への幕開けを感じさせてくれる一曲である。

 そして野宮真貴の登場である。91年、コロムビア移籍後、毎月一回のEPCDシリーズに続いて『女性上位時代』を発表。ここで小西は野宮に、かつて美空ひばりや越路吹雪にしか許されなかったであろう視点の、キャラクター・ソングを書きまくる。まるで映画監督と主演女優という関係性の確立。すでに加速を極めていたエディティング/リミキシングの集大成ともいえる本作は、デ・ラ・ソウルのファースト『3 Feet High And Rising』の影響も特盛りな録音芸術家としての彼のひとつのピークともいえる。〈MOMAモノ〉です。

 続く92年の『スウィート・ピチカート・ファイヴ』では初めて、素材を過去からの引用に頼らず、リアルタイムのハウス・ミュージックへ挑んでいる。シンプルなパッケージングと共にアルバム一枚を貫くひんやりとした〈質感〉が、私はいまもめちゃくちゃ好きだ。このあたりから〈使える〉音楽としての自覚も芽生え、クラブでの小西のDJイヴェントに野宮がヴォーカル参加なんてこともあったっけ。

 93年、ライヴ盤『インスタント・リプレイ』を経て、CFタイアップで初のヒット曲“スウィート・ソウル・レヴュー”を含む『ボサ・ノヴァ2001』では小山田圭吾をプロデューサーに迎える。小西が文筆家としてよく見せた、依頼者への(あるときは毒を含んだ)絶妙のサーヴィスがここでは依頼者を小山田に置換して、存分に発揮されている。

 同年秋には米コロンビア音源からボサ、ジャズ、ヴォーカル、ムード音楽……のリイシューを監修。12枚のオリジナル・アルバムを復刻、翌年にかけて選曲&編集盤を延べ5枚リリース。すでにサバービア・スイート誌で小西が提言していた「未来の音楽」というコンセプトはいまなお色褪せない。あらゆる〈復刻〉に必要不可欠な概念だと思う。

 その後、数枚の優れたシングル・リリース(特にひと筆書きの極み“スーパースター”の冴え!)、そして米マタドールとの契約を経て94年秋、『オーヴァードーズ』を発表。その前にオリジナル・メンバー高浪は脱退する。優れたソングライター高浪と小西を分かつもの、それは小西が単なる音楽を越えた魅力を認めるジグ・ジグ・スパトニックやマルコム・マクラレンのハイプが高浪の音楽に入ってなかったせいかもしれない。

 翌95年には初のワールド・ツアー。ファンタスティック・プラスチック・マシーンをレコード内デビューさせた『ロマンティーク96』をリリース。小西の提供した楽曲(のほんの一部)の編集盤『裸の王様・王様のアイデア』、ピチカート・ファイヴのレア・トラック集『グレイト・ホワイト・ワンダー』などのリリース、ソニー時代作品のリマスター&リパッケージによる再発、そして小西の残した文章を集めた「これは恋ではない」の刊行などでファンの財布を攻めつつ、97年には自らのレーベル********* records, tokyoから『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』を発表。世界同時発生的ハッピー・チャーム・フール・ダンス・ミュージック(なぜか命名者であることは忘れて欲しいみたいです。いますぐ忘れてください)が放つ時代の気分は、タイトル通りオッフェンバックから100年目の世紀末のBGMにふさわしく、パッケージングも含めた統一感は『スウィート・ピチカート・ファイヴ』を思い出させてくれた。体験者にしかわからないだろうが、クラフトワークから岡っぴきまで登場するドリフの如きライヴも、グルーヴィジョンズの映像と共に素晴らしかった。

 そして『プレイボーイ プレイガール』である。古くからのファンなら表題曲の歌詞に“万事快調”を見るかもしれないし、“きみみたいにきれいな女の子”のスライ・ストーンな編曲に“大人になりましょう”を見るかもしれない。それはそれでピチカート・ファイヴの集大成的なアルバムといえるのだけれども、いままで小西が繰り返し意図的に行ってきた過去の自作からの引用と比較すると、もっと、自分に染み込んじゃったものを無意識に出している、という感じを受ける。〈ソングライティング〉は小西の好むタームだ。詞だけでも曲だけでもアレンジだけでも、あるいは演奏だけでも歌唱だけでも、例えばこのアルバムの“不景気”や“ロールスロイス”が醸し出す絶妙なバランス世界を表現することはできないだろう。かつてランディー・ニューマンがチビの歌で示したように、小西もまた不景気というタイトルを持つ曲で、地球上の〈ソングライティング〉の枠を数ミリ広げたのだ。

 さて、字数の関係でピチカート・ファイヴの、しかもフル・アルバムを中心に小西康陽の仕事を振り返ったが、最初に書いた〈本領〉は、やっぱり限定できそうもない。デビュー時から、職業作家への憧れはよく口にしていたが、それも筒美京平との共作という(デビュー時から考えれば)奇跡まで実現に至った。そしてTVで、彼が楽曲を提供した和田アキ子の口から「小西康陽さん」という言葉を聞いたとき、その〈さん〉に〈先生〉というニュアンスが滲んでいるのを感じて、なぜかこっちまで感激してしまった。忘れずに書いておくと、初期のアイドルを中心とした数多くの曲提供も興味深いが、夏木マリやTV JESUSを始め幾つかのプロデュース作には、ピチカートではできないオルタナティヴな表現として仕事以上のサムシングが溢れていて、見逃せない。

 近作のインタヴューで何度も見受けられる「DJで自分が廻したくなるようなレコードを作る」という言葉。思わず、デヴィッド・ボウイの「I am a DJ, I am what I play」って歌の文句を思い出した。すべてはレコードのために。レコードは、やっぱりレコードのために。世界で一番忙しい子供、それが小西康陽かもしれない。

 さて。皆さん楽しんでいただけましたか。私の原稿はこれでおしまい。なお、この原稿にはボーナス・トラックが収められておりマス。

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