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特集

フリッパーズ・ギターにまつわる、記号論を越えた現場からの声(3)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年03月04日 11:00

更新: 2004年03月04日 16:07

ソース: 『bounce』 251号(2004/2/25)

ポスト・パンクと氣志團に連なるもの

小林「でも、期せずしてポスト・パンク再評価っていう気分にみんななってるのかなっていう。なぜかっていうと俺もいま十何年経ってなぜか瀧見(憲司)さんと仕事してたり、僕が出してるMOODMANもそうなんですけど、彼はかつて〈ZOO〉でずーっとダブかけてて。それこそ〈24アワー・パーティ・ピープル〉みたいな映画ができるってこと自体思ってもいなかったわけじゃないですか? ア・サートゥン・レイシオが再発されたりギャング・オブ・フォーが再評価されたりっていう流れもフリッパーズまで繋がるし」

北沢「パンクが一度死んだ後の混沌からいろんなものが生まれて再生に繋がったように、いまみんながポスト・パンクに求めてるものはその混沌からエネルギーを得たい、萎えた自分に喝を入れたいっていう気分だと思う」

小林「当時フリッパーズ好きだった人たちって、世代的には流行りの音楽をあまり買わなくなったり、もしくは育児で大変だったりしてる。でもそこに逃避するってわけじゃなくて、音楽とちゃんと付き合ってる。でもフリッパーズの影響論を語るみたいなこともある意味一区切りした感じなのかもしれないですね。たとえば氣志團とか……」

北沢「俺も氣志團は最初そう捉えた。あれはあれですごい発明で。フリッパーズが手を伸ばさなかった部分も包括して総力戦やってるから、そこは拍車がかかってる感がある。もうドン詰まりだと誰もが思ってたとき、そのドン詰まりを逆手に取ってやる奴が現れた。それはフリッパーズに近いけど、フリッパーズほどのトラウマを子供たちに与えることはないと思う。だって氣志團は、人気絶頂のまま解散したりはしなんじゃないかな。フリッパーズはこれからもっと売れるのに、っていうときだったでしょ。氣志團は友好的で、フリッパーズは不機嫌だし、その違いはデカいよ。

フリッパーズにやられた子供たちは、そのトラウマに一人一人折り合いをつけたりつけられなかったりしながら中途半端な年齢を生きて、個人で闘いを継続中っていうさ。いまどうやって生計を立てるかっていうのは老いも若きもすごい切実な問題じゃない? そこで音楽で食っていけない人が音楽を捨てるかっていうと、そんなことはないと思うしね。好きだったら捨てない」

小林「フリッパーズ以降、世界がそこまで変わっていってるっていう現実的なことも考えなかったら、フリッパーズに対して失礼だと思う。そこで〈当時は楽しかったねぇ〉って言っちゃったらそれがいちばん無責任なわけで」

北沢「確かに楽しかったけどね。こんなに楽しくていいの!?ってくらい。91年が最後の夏とは思わないけど、〈最近の冬は長いな〉とは思う(笑)」

対談出席者のご紹介

北沢夏音(きたざわ・なつお)
  フリーランス・ライター。この世界に足を踏み入れるきっかけがフリッパーズとの出会い、という意味では紛れもなく彼らに人生変えられたひとり。フリッパーズ活動中はロング・インタヴューや「宝島」誌において〈ネオアコ太平記〉などを連載。解散後はクール・レジスタンス・カウンシルに参加。現在、「クイックジャパン」誌ほかで執筆中。

小林弘幸(こばやし・ひろゆき)
  インディー・レーベル〈HOT-CHA〉〈夢音〉のプロデュースをはじめ、主に東京のアンダーグラウンド・シーンを土壌に活動中。当時は、ロリポップ・ソニックらを世に送り出すきっかけとなった先鋭ミニコミ誌〈英国音楽〉界隈で名を馳せていた国際軍団の一員として学生業をこなしつつ、下北沢の〈ZOO〉を拠点として、アノラック不良たちと呑み歩いていた。

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