フリージャズっていったいどこまで自由なんだ?(3)
カタコトでもいいからジャズの言語を喋って
60年代フリージャズが持っていたパッションや理想、スピリットを、70年代後半以降のパンク/ニューウェイヴ、ジョン・ゾーンやラウンジ・リザーズなどに代表されるNYダウンタウン・シーンなどの表現の中に見い出していった気持ちは、大友の同世代ならわがことのようによくわかるだろう。大友はフリージャズと並行してパンク/ニューウェイヴ(や現代音楽)もずっと聴いていたわけで、そんな彼が、90年代に改めてジャズ的な言語を用いて、フリージャズからニューウェイヴへと流れ込んでいったものをさらに発展させてみたいと考えたのは、実に納得のいくことだ。
「うん、まさにそのとおりで。ポップ・グループとか『No New York』系とか、あるいはデヴィッド・トゥープなどの実験的ダブの流れ。そっちのほうにむしろ、フリージャズの大切なエッセンスは感じてた。だから、80年代の後半ぐらいにジャズとロックの融合とかあったじゃないですか、〈ボーダーを越えて〉とか。そういうことでは全然なくて、もっとストレートに、カタコトでもいいからジャズの言葉を喋って、『No New York』なり、90年代のメゴなどの電子音なりメルツバウなりを凄いと思った人間がやるようなジャズがあってもいいかなと」。
ジャズの理想と言語、ニューウェイヴの蛮力と超躍力、そしてポスト90's的センス、そうしたものの統合をめざしたのが、ニュー・ジャズ・クインテットである、と。
「もうひとつ言っちゃうと、僕が過去にやってきたような即興とかノイズとか音響系とかみんなそうだけど、ああいうある種、時代のなかのいちばん過激な表現と言われるものは必ず原理主義みたいになってくの。それ以外は認めないとかさ、それがイヤで。そういうんじゃない位置に俺はいたいなあ、と思ってて。それも素晴らしいけど、ほかにも……っていう感じの主張も実はあって。ニュー・ジャズ・クインテットを作ったとき、実はヨーロッパのいろんな前衛ミュージシャンたちから批難されたんですよ。なんでいまさらジャズなんだ、保守に戻るのかって。ヨーロッパではフリージャズ=保守、ぶっ壊すべきものという意識が今も強いからね。日本のほうが自由ですよ」。
ジャズを愛しながらも、ジャズにも、権威にも、仲間意識にも絶対に縛られまいとする絶対的自由の人、大友良英である。
▼大友良英ニュー・ジャズ・クインテットの作品
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