フリージャズっていったいどこまで自由なんだ?(2)
違う道筋を辿った〈ニュー・ジャズ〉があっても
「僕がジャズをやり出した70年代後半から80年代は、60年代的なフリージャズがもうある程度固定して、ひとつの保守層みたいなものが出来上がっていた。世界中で膠着しちゃってるというか。それを打破する感じでジェイムズ・ブラッド・ウルマーなどが出てきたように思う。まあ、ドン・チェリーのように、フリージャズ・シーンのなかにあっても膠着しない、自由な人もいたわけだけど。僕は70年代なかば以降のジャズにはまったく興味を失ってて、聴いてなかったのね。おもしろいと思えるのは、ジャズから出てきたけど違う方向に行っちゃった、例えばさっき言ったウルマーとかジョン・ゾーンとか、あるいはノイズとかだったの。でも、それから長い年月が経って、ふと気がつくと自分のやり方で70年代に途切れちゃったその先ができるような気がしだしたんですよ。今こそやってもいいかなっていう。前はジャズの語法とかを取り上げるのを潔しとしなかったんだけど、それを片言でも喋れるんならブロークンな言語のジャズをやってもいいかなと思い出したのが数年前で、だからあえて〈ジャズ・クインテット〉を名乗ったんです。いちおうジャズの言語、ということで。そしてそこに〈ニュー〉をつけたのは、ジャズの中心が仮にNYだとしたら、NYで進化の過程を辿っていった太い幹とは別個に、違う道筋を辿った〈ニュー・ジャズ〉があってもいだろうと思ったから。最初〈ニュー・ジャズ〉って付けたとき、シャレだろうと思った人がいっぱいいたと思うんだけどね。〈ニュー・ジャズ〉って言葉、昔70年代初頭に流行った言葉だからさ。コルトレーンのアルバムとかによく〈ニュー・ジャズ!〉と書いてあったりして。でもそういう意味じゃなく、本当にストレートな意味で付けたんですよ。シャレでもなんでもなくて」。
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