スピリチュアル・ジャズの大海原に飛び込もう!!(2)
僕が伝えたいのは〈ピュアになれ〉ってことかな
ファレル“ファラオ”サンダース。1940年、アメリカ南部アーカンソー州の生まれ。ピアノやドラムなどに子供のころから親しみ、高校からサックスやフルートを吹き始めた。オークランドのカレッジで2年間音楽を学んだ末、62年にNYに進出。当時はちょうどフリージャズが世に旋風を起こしかけていた頃で、真実を見つめようとしていた彼も自然にそのサークルに接近、サン・ラーやドン・チェリーは当時関係を持った最たる人であった。
「あの頃は、それは素晴らしかった。ジョン・コルトレーンも素晴らしかったし。それは自然に起こった感じだった。コルトレーンは〈これぞコルトレーン〉っていうプレイをしていたよなあ。彼の音楽へのアプローチ、彼のサックスに対するアプローチの仕方はほかの人とは違っていたからね。マリオン・ブラウン(息子はラッパーのジンジ・ブラウン)、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマン、共感できる人はたくさんいるさ」。
まずコルトレーンの名前が出てきたように、ファラオはなによりもジャズ史きっての〈悩める哲人〉といえるジョン・コルトレーンのグループに在籍したことで知られ(精神性が深く、あっち側にかっ飛ぼうとしていた晩年の3年弱)、彼の死後、そのノリを自分なりにカラフルに引き継ぐような、スピリチュアルでメロウな表現をずっと志向してきている。そこには、美味しい楽園感覚があり、狂気と隣り合わせの飛躍の感覚があり、ピースフルな人間性謳歌の感覚があった。そして、それは〈米国黒人は何をすべきなのか〉〈ジャズは何ができるのか〉〈どうすることが自分らしいのか〉といった問い掛けとがっちりと繋がったものだったとは間違いなく言える。
「僕が伝えたいのは、〈ピュアになれ〉ということかな。曲を聴いてくれさえすれば、それがすべてなんだよ」。
ファラオはこの春に8年ぶりに来日した。あっぱれなパフォーマンスを見せてくれたけど、笑ったのは、彼がアレステッド・ディヴェロップメントの精神的支柱を果たしていたババ・オジェにそっくりだったこと。見据える出口が似ていると、佇まいも似てくる?というのはともかく、やっぱりファラオには得難い味が横溢している、キャラ立ちの人であった。上記に抽出した発言は電話で取ったものなのだが、彼は「ジェイムス・ブラウンみたいな人だったらいっしょにやりたい」なんてこともポロっと言ったりも。やっぱ彼、大いなる好奇心の塊でもあるんだよね。
ああ、音楽は人なり。そして、彼はそれが破格にすぎる。でも、だからこそ、彼のジャズはとんでもない奥行きと訴求力を持っているのだし、今もばっちり有効であるのだ。
▼先ごろリリースされた、Calm選曲によるファラオ・サンダースのベスト・アルバムを紹介
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