タフなロックンローラー、清志郎(2)
RESPECT!
96年は、いよいよ忌野清志郎がパーマネントなバンドでのライヴ活動を再開する年となった。94年のプロジェクトであったScreaming Revueを、清志郎、三宅伸治、藤井裕、富岡“GRICO”義広というシンプルな編成にして、Little Screaming Revueと銘打ち、全国ツアーを展開。テクニシャン揃いの強力なグルーヴで大好評を博した手応えもあってか、忌野清志郎 Little Screaming Revue名義で『GROOVIN' TIME』(97年7月)、『Rainbow Cafe』(98年10月)と、順調なペースでアルバムを発表した。
一方で、98年は波乱の年となった。まず、忌野清志郎本人が主演・音楽監督で関わる予定だった映画の企画が頓挫。これについては、そのために録りためていた曲を中心に、ソロ・アルバム『RUFFY TUFFY』(99年7月)を発表することで解決を見たが、それと並行して、10月のリリースを予定していた忌野清志郎 Little Screaming Revueのサード・アルバム『冬の十字架』(同年9月)が、レコード会社の判断により発売中止にされたのである。この年の夏に国会で可決された国旗・国家法案を巡って論議が高まっていたなかで、パンキッシュなアレンジが施された“君が代”のインパクトにレコード会社が恐れをなしたための出来事だった。清志郎にとっては88年の『COVERS』以来の発売中止事件だったが、今回はそれを逆手にとってインディーズから予定を早めてリリースするというしたたかなやり方で、反骨精神の旺盛さを発揮している。そういった波乱含みでスタートした〈十字架シリーズ〉は、『夏の十字架』(2000年7月)、『秋の十字架』(同年11月)という3連作になった。ただし2作目以降は、清志郎、藤井裕、上原“ユカリ”裕の3ピースを基本に武田真治のサックスが加えたRuffy Tuffyというバンド名で発表されている。Little Screaming Revueとの大きな違いは、清志郎がリード・ギターも全面的に担当していることだ。
2000年はRCサクセションでのデビューから30周年ということもあり、3月3日には日本武道館でRCサクセション、清志郎を敬愛する多くのミュージシャンが参加したトリビュート・コンサートが行われた。その模様はライヴ盤『RESPECT!』(2000年5月)に収録されているが、こうした豪華なセレモニーの場でも、彼はRuffy Tuffyとして新曲を披露している。また、Ruffy Tuffyでは〈マジカデ・ミル・スター・ツアー〉と銘打ったライヴハウス・ツアーを精力的に繰り返し、その模様を収めたドキュメント映画「不確かなメロディー」も、2001年に劇場公開された。
円熟しそうになると、いきなりそれをリセットして、初めてバンドを組んだときのような初心に帰ったり、さまざまなユニットでの気ままなコラボレーションでリフレッシュする清志郎。2002年には木梨憲武と“ガンバレ日本”、及川光博とのユニット、ミツキヨによる“強烈ロマンス”といったシングルをリリースしたほか、宇宙からやってきた謎のトリオという設定による覆面グループ、LOVE JETSのフロントマンであるPURAHHAは、タイマーズのZerryと同じく忌野清志郎ではないかともっぱらの評判だ。LOVE JETSは、2003年7月にRCサクセションのカヴァーも含むミニ・アルバム『ちんぐろ』を発表している。
そしてこのたび、4年ぶりのソロ・アルバム『KING』が到着した。この最新作では、RCサクセションのころからの付き合いとなる梅津和時らのホーンをフィーチャーしたリズム&ブルース寄りのナンバーも披露。音楽性においても、RCサクセションの休止から、サイクルをグルッと一巡してきたかのような内容となっている。
忌野清志郎は、その発想も行動力も柔軟でタフなミュージシャンだ。ソウル・ミュージックなどをルーツとして日本語によるロックを切り拓いてきたヴェテランらしい成熟したミュージシャンシップを持つ一方、時にはそうした蓄積をあえて封印して、初期衝動だけで突っ走る初々しさも持つ。さらにトリックスター的な閃きと反骨精神で、世の中に問題を提起することも少なくない。また、だからこそ彼は、常にフレッシュな存在として、幅広い年齢層に熱烈なファンを多数獲得してきたのだといえるだろう。
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