Aretha Franklin(2)
〈ソウルの女王〉はただひとり
アレサ・フランクリンが〈ソウルの女王〉と呼ばれる理由は何なのか。批評家ネルソン・ジョージは88年の名著『リズム&ブルースの死』(林田ひめじ訳:早川書房刊)でこう書いている。
〈もし“ソウル”とはいったい何なのかわからないというなら、どれでもいいからアトランティックから出されたアレサ・フランクリンのアルバムを聴くことをお勧めする〉。
仮にこの10年余りで〈ソウル〉の概念に変化が生じているとしても、この一文はいまでも有効に違いない。アレサのヴォーカルには、ソウル・ミュージックのありとあらゆる表現が凝縮されている。これは誇張ではなく事実。おまけに、そこに表れるいくつもの心情はみな、彼女の魂から直に搾り出されているように聞こえる。彼女の歌にはそういう〈ムキ出し感〉が確かにある。だがそれは無意識のものではない。むしろ、〈ムキ出し〉の感覚を歌の隅々にまで満たす技量が彼女にはある、というのが正しいのかもしれない。
だとしても彼女の歌は、何かを演じているようには聞こえない。言葉にし難い心のヒダまでを一音一声に映して、途方もないリアリティーを生み出したりもする。小手先の技術を超えた彼女の表現は、ヴォーカル・アートと呼ぶにふさわしい。ダイナミックなシャウトから語りかけるようなウィスパーまで、後ろ寄りに重心をかけた歌声で、じわじわと揺さぶるワザも特筆ものである。67年、女性におけるソウル・ヴォーカルの規範がまだ築かれていなかったといえる時期に、それらの表現のほとんどを身につけて彼女は現れた。その意味でも音楽史上希にみる天才のひとりである。以来、彼女以外の誰かが〈ソウルの女王〉と公に呼ばれたことはない。
以下に彼女の歩みを断片的ながら辿ってみるが、事実関係については自伝『Aretha - From These Roots』(99年刊/デイヴィッド・リッツとの共著)を主に参照した(そのため、同書の入手前に「レコード・コレクターズ」誌に寄せた拙稿とは異なる部分も若干ある。あらかじめご了解いただければ幸甚です)。
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