Rancid(2)
拡大し続けるバンドとその代償
より厚みのある音を得るため、ギターをもう1本増やすことに決めた彼らが目を付けたのは、一時UKサブスのギタリストとして活躍していたラーズ・フレデリクセン。ほかのメンバーの出身地バークレーよりも若干南に位置するキャンベル出身である。最初に声を掛けられたときは自身のバンド、スリップの活動に専念したいと断ったそうだが、ほどなくスリップが解散。ラーズは加入を決意し、わずか1週間でランシドのすべての曲を覚えたという。なお、たった1回ではあるがグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロング(ティムと苗字は同じだが、もちろん血の繋がりはない)と共にライヴを行ってもいる。
4人編成となった彼らは、94年に入ってまず盟友NOFXのファット・マイクが主宰するファット・レックからセカンド7インチEP『Radio, Radio, Radio』をリリース。続いて6月21日、わずか4日間でほぼライヴに近い状態で23曲を録り終えたというセカンド・アルバム『Let's Go』をリリースする。ラーズとティムがヴォーカルを分け合うランシドのスタイルがここで完成する。また、このアルバムにはグリーン・デイのビリー・ジョーとの共作、“Radio”も収録されている。
『Let's Go』リリース後、ツアーに明け暮れていた彼らに、メジャー・レーベルの宣伝担当者が魔の手を伸ばしはじめ、およそ7社が契約を申し出るが(その中にはマドンナのマヴェリックも含まれていた)、そのすべてが却下された。
94年末には早くも次のアルバムからの先行シングルとなる“Roots Radicals”をエピタフ社長、ブレット・ガーウィッツのプロデュースでリリース。そして、目下のところバンド最大のヒットとなっているアルバム『...And Out Come The Wolves』を95年8月22日にリリースする。プロデューサーにはグリーン・デイやペニーワイズを手掛けたジェリー・フィンを起用、このアルバムからは前述の“Roots Radicals”をはじめ、“Time Bomb”“Ruby Soho”と実に3枚ものシングル・カットをしている。時期的にグリーン・デイやオフスプリングのブレイクと重なる部分もあり、シングル・ヒットを期待してのことだったのだろう(バンド側の意思とは関係ない気もするが)。音楽的にはレゲエ、スカの割合が多く、ランシドのアルバムのなかでも屈指の聴きやすさである。
リリース後ランシドは、ふたたび終わりなきツアーを行う。96年にはロラパルーザに出演。心の師、ラモーンズや同じベイエリア出身(だが当然なんの接点もないであろう)のメタリカなどと共演。そしてツアー後、毎年立て続けにアルバムをリリースしツアーを行う生活から、バンド結成後初めての長いインターヴァルに入る。
一見順調に見える彼らだが、ポートランドのデファイアンスとは友情関係にありながら、一方的に〈セル・アウト!〉と罵られ、ランシドを激しく罵倒した“Rip Off”という曲を送られたほか、プロモ・クリップの撮影に訪れたNYのABC NO RIO(ランシドが初めてNYでプレイしたライヴハウス)では地元のパンクスに殴りかかられたり、撮影の邪魔をされたりといった目にも遭って、商業的成功と引き換えに失ったものも多かったようだ。