Rancid
彼らの音楽には一部のリスナーだけでなく大勢を動かす何かがある。人々を勇気づけ、拳を握らせてしまう何か……それは、音楽に対する正直さと、リスナーすべてを〈ファミリー〉として迎える彼らの度量にほかならない。そんなランシドのキャリアをいま一度振り返ってみようではないか。ここにはポップ・ミュージック・シーンと闘い、自己の感覚を研ぎ澄ませてきた今のパンク・バンドの理想的な姿がある!! その存在価値は、この佇まいが物語っているとおりだ!!
'03年、パンク誕生から28年である。パンクが産まれた76年に生を受けた子もいまや社会人、お父さん、お母さんになっている人もいるだろうし、否が応でも自分の年齢を考えてしまう(いくつかって? ほっとけ!)。ディー・ディー・ラモーンも、偉大な詩人、ジョー・ストラマーも逝っちまった'03年のパンクスに何が残されているのか?
悲しみに暮れている暇はなさそうだ。ランシドがニュー・アルバム『Indestructible』を引っさげて俺たちの前に帰ってきたからだ。
ランシドの歴史はその前身である伝説のバンド、オぺレーション・アイヴィーに触れることなしで語ることはできない。オペレーション・アイヴィーは、5歳のときからの親友であるベース/ヴォーカルのマット・フリーマンと、ギター/ヴォーカルのティム・アームストロング(当時はなぜか〈リント〉と名乗っていた)を中心に87年に結成され、89年に解散するまでに7インチEP『Hectic』、アルバム『Energy』を地元バークレーのルックアウトからリリースしている。現在のスカ・パンクやスカ・コアとは微妙に肌触りの違う、ハードコア・パンク・スカとしか形容できない摩訶不思議な音楽をプレイしていた。
解散後、マットはヴェテラン・スケート・コア・バンド、MDCに参加、アルバム『Hey Cop, If I Had A Face Like Yours...』で彼のプレイを聴くことができる。
一方のティムは7セコンズの中期の名盤『Soulforce Revolution』にコーラスで参加したものの、自身の麻薬中毒のためホームレス化してしまい、しばらくバンド活動から離れざるを得なかったようだ。
その後、マットの助けもあり、なんとか麻薬中毒から立ち直ったティムは、「オレ、どうしてももう一度、バンドがやりたいんだ」とマットに持ちかける。幼なじみであり、常々「ティム以外に友達はいなかった。やつのためだったらなんでもできる」と公言してはばからない彼がこの申し出を断わるはずもなく、91年9月、ランシドが結成されることになる。それにしても、この男の友情にはグッと来るものがある。〈竹馬の友〉という言葉があるが、2人はまさにそんな間柄なのだろう。
ドラムにはティムのルームメイトであったブレット・リードを迎え、活動を開始。92年にルックアウトからデビュー7インチEP『Rancid』を発表する。レコーディングにはランシドと所縁のあるUSサグス(一時はサンフランシスコ周辺のギャングの集まりと噂されたこともあったようだが、実際は仲の良い仲間同士の結束のようなものらしい。ランシドを中心に、AFI、スウィンギン・アッターズ、タイガー・アーミー、パワーハウス、ナーヴ・エージェンツ、プレジャー・ポイント、フォーゴットンなどのバンドがそのメンバーとされている)周辺のバンドがよく使用するアート・オブ・アース・スタジオで行われた。この3ピースのラインナップのまま、ランシドはレーベル、エピタフと契約。93年5月10日、デビュー・アルバム『Rancid』をリリースしている。