Mondo Grosso(2)
大沢伸一の出発点
MONDO GROSSO──これは元々、バンド・スタイルでの出発を遂げたプロジェクトだった。結成は91年の京都。主にベースを担当し作曲を手掛けていた大沢とラッパーのB-BANDJ(現在は瘋癲のメンバー)、キーボーディスト吉澤はじめにサクソフォニスト中村雅人(現在は共にSLEEP WALKERに在籍)、フルート、サックスなどを担当する大塚英人らがコア・メンバーである。
繰り返しになるが、90年代初頭は〈ジャパニーズ・レア・グルーヴ〉の全盛期だった。現在よりも経済的に余力があったであろう夜の文化にも支えられ、それはファッションなど各種業界を巻きこみ、文化/音楽両面で興味深い時期を現出させた。〈フリー・ソウル〉にUnited Future OrganizationやKYOTO JAZZ MASSIVE、竹村延和、DJ KRUSH……それぞれスタイルは随分変わったけれども、現在も第一線でトピックを提供する面々が、共に〈大きな物語〉を編んでいた幸福な時期だった。例えば、「SWITCH」(93年9月号)にはこう記してある──「自分は楽器をやらなかったし、歌も歌わなかった。かわりに何があったか、っていうと〈やらない〉っていう才能ね」。10年前に矢部直(United Future Organization)はこう答えている。この言葉は矢部に留まらず、当時の気風を大いに反映していた。ムーヴメントを担っていたのは楽器を演奏しないDJたちだった。彼らの手によって埃を被っていたレコードたちの価値が再編され、クラブへと放たれていた。MONDO GROSSOが登場したのはそういう時期だった。しかも彼らはジャズ・ファンク、ブラジル、ラテン……当時日本人の誰もが抱く〈レア・グルーヴ〉という概念をバンド・スタイルで再現したのだ。気品のあるジャジー・ヴァイブス……そして何より〈踊れる〉サウンド。ブームの真っ只中にいたリスナーが飛びつかないワケがなかった。
かくして、ファースト・アルバム『MONDO GROSSO』(93年)が発表されたが、やがて本格的なジャズ・ヴォーカルを聴かせるMONDAY満ちるなどもそのルーティンに加えつつ、彼らは時代と一体化していく。そんなふうにしてクラバーの熱気を吸い上げた第一期のMONDO GROSSOの様は、ヨーロッパ公演を収めた『The European Expedition』(95年)に詳しい。だが、バンドとしての右肩上がりの発展は、セカンド・アルバム『BORN FREE』(95年)までだった。バンドのマン・パワーがシーンの熱気を吸い上げるシステムにも限界というモノがある。90年代初期から盛り上がりを見せていた〈ジャパニーズ・レア・グルーヴ〉の瓦解もそれに追い討ちをかけた。しかし、フロントマンとして存在感を強めつつあった大沢は、機を見るに敏だった。『BORN FREE』で彼は、バンド的なダイナミズムに頼らない〈プロデューサー・大沢伸一〉的な資質を開花させている。クレモンティーヌ、阿川泰子、近藤等則、MONDAY満ちる……彼は95年までにいくつかのプロデュース作品を残しているが、その経験が生きたのだろうか。このアルバムをリリースし、ツアーを終えた96年に大沢以外のメンバーが脱退したこともあって第一期MONDO GROSSOは終幕を迎える。しかし、すでにそこには第二期への種が撒かれていた。
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