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特集

デトロイト音楽の形成に寄与した偉人たち

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2003年05月15日 14:00

更新: 2003年05月20日 17:28

ソース: 『bounce』 242号(2003/4/25)

文/池田 謙司、石田 靖博、門井 隆盛、鈴木 真広、出嶌 孝次、林 剛

JOHN LEE HOOKER
 1920年(17年説もあり)にミシシッピ州クラークスデイルに生まれた伝説的なブルースマン。43年頃にデトロイトに移り住み、ギターを片手にデルタ・ブルース直系のダーティーなブルース・ナンバーを次々と送り出し、48年リリースの“Boogie Chillen'”は当時のR&BチャートでNo.1に輝いた。数々の大物ロック・ミュージシャンとの共演や映画「ブルース・ブラザーズ」への出演などでもお馴染みの彼だが、モータウンのアーティストとの繋がりもある。60年の“I Need Some Money”はバレット・ストロング“Money(That's What I Want)”のブルース版とも言われるし、63年の“Frisco Blues”には実際にマーサ&ザ・ヴァンデラスがコーラスで参加、またステージではスティーヴィー・ワンダーとも共演していたという。以後、90年代に至るまで活動を続けたが、2001年に逝去。(林)

MARCUS BELGRAVE
 デトロイトのマイルス・デイヴィス。6歳でトランペットを始め、クリフォード・ブラウンに師事。18歳からレイ・チャールズと10年以上も活動を共にした。その他、サミー・デイヴィスJr、マーヴィン・ゲイ、BB・キングなど、さまざまな伝説的アーティストとの共演を数多くこなしている。その一方で、伝説的なジャズ・レーベル=トライブを立ち上げ、アヴァンギャルドと呼ぶにふさわしい過激な作品を多数リリースしている。また、〈Detroit Metro Arts Complex〉の創設者でもあり、ジャズの教育者としてジェリー・アレン、ロバート・ハースト、ジェイムズ・カーターなど現在も活躍する多くの逸材を育てている、まさにデトロイト・ジャズのゴッドファーザー。今年に入ってからはデトロイト・エクスペリメントにも参加し、トライブのアンソロジーにもオリジナルが収録されている往年の名曲“Space Odyssey”をカヴァーしている。(門井)


トライブのレーベル・アンソロジー『Message From The Trib-e』(Universal Sound)

BERRY GORDY JR.
 ご存知モータウンの創始者。1929年、デトロイトに生まれた彼は、ジャズ・レコード店の経営~フォード社工場での自動車部品の組立工などをしながら自作の曲を書き続けていた。そんな折、うち1曲がジャッキー・ウィルソンに歌われることとなり、以降も“Lonely Teardrops”などのヒットをジャッキーにもたらす。それを機に自主レーベルを立ち上げるなどしてミラクルズのデビューに貢献するわけだが、ここで出会ったスモーキー・ロビンソンの提案で、59年に黒人経営のレコード会社として誕生させたのがタムラ/モータウンだった。同社ではゴーディの指揮のもと、マーヴェレッツ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーといったスターを発掘/育成し、黒人音楽を〈ポップス〉として聴かせることに成功(そんなゴーディの華やかな軌跡は95年の企画盤『A Tribute To Berry Gordy』でも振り返ることができた)。80年代後半には第一線から退いてしまったゴーディだが、彼の経営哲学は、現在もパフ・ダディほか多くの黒人起業家/音楽家に受け継がれている。(林)


ジャッキー・ウィルソンのベスト盤『The Best Of Jackie Wilson』(Union Squar-e)

MC5
 モーターシティ・ファイヴ!! ラウドでハードで燃えカスになるまでロールする、汗と唾に彩られた理想的なロックンロールは、デトロイトの持たざる者しか鳴らせなかった音なのか? ミシガン州はリンカーンパークで64年に結成され、67年に不本意な“I Can Only Give You Everything”でデビュー。ホワイト・パンサー党の設立者=ジョン・シンクレアの指導もあって、政治的なアティテュードを見い出し、68年にファースト・アルバムにしてライヴ録音した『Kick Out The Jams』(前年)をリリース。72年に解散するまで、ドーパミンの奔流のようなグルーヴで走り続けた。政治的に過激な姿勢……特に星条旗を反体制的ニュアンスで逆利用するやり口はジョージ・クリントンにも大きな影響を与えたという。パンクの始祖とも評され、プライマル・スクリームなどの後進に与えた影響も言わずもがな。(出嶌)

GEORGE CLINTON
 昨年の〈フジロック〉でも底知れぬヴァイタリティーを示した、Pファンク軍団の頭領。40年、ノースキャロライナ出身の彼は、ニュージャージーの床屋でパーラメンツというヴォーカル・グループを結成。グループはモータウンをめざしてデトロイトに赴き、5年近く同社にいたという(その間、クリントンは楽曲提供などをしていた)。その後、60年代後半にレヴィロットからリリースした“(I Wanna)Testify”がヒットしたのを機に、エディー・ヘイゼルらバンドにファンカデリックを名乗らせる。一方、パーラメンツ改めパーラメント名義では70年にインヴィクタスから『Osmium』を放ち、以降はパーラ/ファンカという微妙に音楽性(とメンバー)の異なる2グループを並行してまとめ上げ、過激かつクールなミクスチャー・ファンクを展開した(名目上は、パーラメントがヴォーカル・グループでファンカデリックがバンドであり、お互いの作品に客演する形式をとっていた)。80年代に入るとクリントンはキャピトルと契約してソロ活動を始め、82年には“Atomic Dog”がヒット。90年代以降もペイズリー・パーク~エピックなどでソロ作をコンスタントにリリースし、Pファンクに憧れるヒップホップの連中(MCブリードほか)とも絡んでいる。プロデュース/客演面でも、Pファンク作品はもちろん、デルズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、プリンス、デジタル・アンダーグラウンド、久保田利伸……と、とにかく精力的な活動で知られる御大である。(林)


パーラメンツのシングル集『I Wanna Testify』(Soul Goldmine)

THE DRAMATICS
 65年にデトロイトで結成されたドラマティックス。デトロイトらしい無骨さとディープネスを湛えた男気溢れるヴォーカル・ワークが魅力のソウル・コーラス・グループだ。彼らがその名を世に轟かせたのは、マイナー・レーベルでの活動後、同郷の敏腕プロデューサーであるドン・デイヴィスとの出会いをキッカケにスタックス/ヴォルトと契約してから。70年以降、グループはウィリアム・ハワードの豪快なヴォーカルをメインに、“Whatcha See Is Whatcha Get”“In The Rain”などをヒットさせ、ウィリアムの脱退後もLJ・レイノルズという強力なリード・シンガーを得てヒットを連発。ABCに移籍してからも“Be My Girl”などの名曲を放ち、以後メンバーの交替やレーベル移籍などを経ながらも、全盛期のスタイルを保ちつつ現在も活動を続けている。スヌープ・ドッグのデビュー作や最新作で味のあるコーラスを聴かせてくれていたことも忘れがたい。最新ライヴ盤『Greatest Hits Live』での彼らも驚くほど元気だ。(林)

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