デトロイト、街とその音楽 ―― wayback(2)
ダークサイドから生まれた音楽
しかし、70年代の足音が聞こえてくるにつれて、人種間の緊張はさらに増し、黒人であることのアティテュードがよりナチュラルに賛美されるべき時代がやってきます。やがてモータウンはデトロイトを去ってLAに移転するのですが、その反動ともいえる音楽が爆発し始めるのも、ちょうど60年代末でした。モータウンで下積みをしていたジョージ・クリントンがよりクールでシニカルでやるせないメッセージをファンクに込めるようになり、MC5やストゥージズ、アンボイ・デュークスといった新しいアティテュードを持ったロックンロール・アーティストも続々と登場し始めたのです(つまり、苦境を強いられている者のなかには当然のように白人も含まれていたということで、その延長線上にあるのが、エミネムもたびたび表現している〈ホワイト・トラッシュ〉だと言えます)。両者はお互いにフェスやイヴェントでステージを共にすることが多かったようです。音楽面ではともかく、リスナー間でちょっとしたクロスオーヴァーが起こっていたのも、この時期ならではの特徴かも知れません。
そして、70年代になると、栄華を極めていたはずの自動車産業に斜陽の時が訪れます(日本の輸入車が進出してきたからです)。音楽はより持たざる者たちを鬱屈から開放するものとして機能していくようになりました。勢力を拡大していったパーラメント/ファンカデリックや、ワーキング・クラス・ヒーローと謳われたボブ・シーガーはその代表的な存在でしょう。
あらかじめクールな世代のデトロイト音楽
そして(話が飛ぶのですが)、80年代になるとデトロイト・テクノと呼ばれる音楽が勢いを増すことになります。この世代以降のアーティストたちに特徴的なのが、あらかじめデトロイトの繁栄を知らない世代だということでしょうか。彼らはよりクールに、悪い言い方をすれば諦念を持って、それでもなお音楽で何かを表現し続けているわけで、そこに美しいものが生まれないはずがないのです。
さらに、90年代になるとさまざまなデトロイト音楽はより分化されていったように思えるのですが、そこに脈絡を見つけだそうとするのは無謀でしょうか? デトロイトの音楽は、街全体が抱えている正負を問わぬ遺産──街の立地、産業、反骨精神、逆境などなど──によって特徴づけられているのだとは言えないでしょうか。マッド・マイクもそうですし、エミネムもそうです。ドゥウェレもムーディーマンもデトロイトからしか決して生まれ得なかった音楽なのではないでしょうか。
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