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特集

Aphex Twin

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2003年04月10日 10:00

更新: 2003年04月10日 15:32

ソース: 『bounce』 241号(2003/3/25)

文/池田 義昭

捉えどころのない人、って表現はこんな人のためにある言葉だろう。奇人変人!? 天才!?
 多くの人は彼を理解しようと試みるが、奇怪な言動に惑わされ、誤解、深読み、読み違い……てな具合であえなく自滅。気付いた時には煙に巻かれてるか、事実を聞き逃してるか。と、思いきや、作り出す音は時代とともに変化と進化をし続け、聴くものを魅了し続けている。マジなのか? それとも、フザけてるのか? 現在に至るまで実に長いキャリアを誇る彼の登場は、その後のテクノ・シーンに多大なる影響を与えてきた。

 それにしても、こんなアーティストって滅多にいないよな。まぁ、ハッキリしてるのは、彼が魅せられたのは電子音だったってこと。そして、人々が彼のいくつもの奇行に病みつきになっちゃってるってこと。

ベッドルーム・テクノの誕生

 リチャードD・ジェイムス――71年に生まれ、イギリスのコンウォ-ルで育った彼は、幼いころよりテープレコーダー、そしてシンセサイザーに触れていたという。そんな彼が音楽を作ることに興味を持ちはじめたのは10代の初めごろであり、彼がまずとった行動は、そのシンセサイザーを改造することだった。そして、12歳の時には曲作りを始めたともいわれている。そのようにして制作された曲は、エイフェックス・ツイン名義のアルバム『Selected Ambient Works 85-92』として92年にベルギーのR&Sよりリリースされ、このアルバムによって彼はある種の成功を収めることとなった(この作品を期に、R&Sはしばらくリスニング寄りのテクノをリリースしていくことになる)。しかも、すでにそこでは、いまなお彼の特徴のひとつとして捉えられている美しいメロディーを聴くことができたのだ(この時期のリチャードは現在に比べると、キャラクターよりも音を切り口としたシリアスなイメージで語られていたように思う)。この初期作品集、そしてその延長のアルバムであり、94年にリリースされた2時間30分を越える2枚組の大作『Selected Ambient Works II』によって、アンビエント・テクノの代表的なアーティストとしてエイフェックス・ツインという名は知られるようになる。いま振り返ってみてもこの2枚のアルバムは、エイフェックス・ツインというアーティストにとっても重要なアルバムだったことは確かだし、そしてその後の90年代のテクノを語るうえでも欠くことのできない作品だといえる。

 曲を作るのみならずDJ活動もしていたリチャードは、既存のレコードを回すだけには飽き足らず(それはそうだろう、件のシンセサイザーと同じことだ)、そのうちリリースされていない自作の曲を自分のDJプレイのなかに組み込むようになった。それはアボリジニの民族楽器であるディジェリドゥーをサンプリングした曲で、後にエイフェックス・ツインのシングル“Digeridoo”としてR&Sからリリースされたものだ。そしてこの曲が、シカゴ・ハウス、デトロイト・テクノからの影響を受けつつ人気を上げていたR&Sの名をさらに広め、ここ日本でもフロア・ヒットし、エイフェックス・ツインの名を知らしめることとなった。同じ年に続けざまにR&Sよりリリースされた『Xylem Tube EP』も彼の名前をフロアで広める後押しをした(なお、95年にリリースされたコンピ『Classics』ではこの2枚のアナログの音源と、“Digeridoo”のライヴ・ヴァ-ジョンを聴くことができる)。エイフェックス・ツインはアンビエント・テクノからフロア・ライクなテクノまでを作ることができるニュー・ジェネレーションのヒーローとなっていった。ベッドルームで作られた音が、世界中のフロアでプレイされ、そしてベッドルームで聴かれるようになっていったのだ。

 リチャードD・ジェイムスが初めて自身の作品をリリースしたのは、『Selected Ambient Works 85-92』をリリースした前年の91年。エイフェックス・ツイン名義ではなく、AFX名義でマイティ・フォースよりいまでは考えられないほどの枚数(もちろん少ないという意味)で限定プレスされたそのレコードは、“Analogue Bubblebath”と名付けられていた。この〈Analogue Bubblebath〉という名称は、やがて曲名からコンセプト(!?)へと様変わりし、シリーズ化されることとなった。AFX名義でリリースされたこのシリーズは、よりノイジーで暴力的な音を追求したもののように感じられる。また、地元コンウォールで、旧い付き合いのグラント・ウィルソン・クレリッジと共にIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)という定義を掲げたレーベル、リフレックスを始めたのも91年のことだ(〈Analogue Bubblebath〉の第3、4弾ともに、このリフレックスから登場)。

 彼は、AFXとエイフェックス・ツイン以外の名義も使う場合がある。93年にはポリゴン・ウィンドウとしてシングル“Quoth”をワープからリリースし、その5か月後にはアルバム『(Surfing On Sine Waves)』もリリースしている。このアルバムで冒頭を飾る“Polygon Window”は、92年にリリースされていたワープのコンピ『Artificial Intelligence』にも収録されていた(そのジャケットを見てもらえば理解してもらえるだろうが、収録曲はソファーに座って聴くテクノであり、クリエイティヴィティーの高いものだった)。ただ、そこでのアーティスト名はダイス・メンとなっていたのだが(ヴァ-ジョンも少し違っている)。94年にリリースされたそのコンピの続編『Artificial Intelligence 2』にはポリゴン・ウィンドウとして“My Teapot”を提供。その他にもGAKという名義で彼がアマチュア時代に作ったとされる曲をワープからシングル・リリースしているし、コースティック・ウィンドウ名義でも何枚かのシングルを世に出している(それらを集めた『Compilation』も後にリリースされている)。

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