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YMOを間近で見つめていた証人たち~その2

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2003年03月13日 15:00

更新: 2003年03月13日 18:39

ソース: 『bounce』 240号(2003/2/25)

文/bounce編集部

Memories Of YMO

僕が録音で参加したのは、初期のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』から『テクノデリック』までの5年間です。ライヴも、国内外さまざまなツアーに参加させてもらい、世界各地で著名なアーティストに出会えたことも含めて貴重な財産になっています。

当時はアナログ・シンセサイザー全盛でしたが、初期のアルバム録音でポリフォニック(和音)発音できた機種はたしか……ムーグ社〈Polymoog〉、コルグ社〈PS-3100〉ぐらいでした。つまり、それ以外の機器は──ムーグ社〈IIIC〉もARP社〈Odessy〉など──モノフォニック(単音)だったのです。ですから、多重録音する録音現場はたいへんな忍耐が必要だったのです。そんななか、ローランド社〈MC-8〉という、いまで言うシーケンサーが登場したのですが、テンポのコントロールや人力では不可能な速弾きなど、データを与えることで正確無比に演奏してくれるものでした。それは、〈人間vs機械〉とでもいうべき演奏で話題を呼んだYMOサウンドの要になったことは事実だと思います。しかし、まだヴァージョンが完成していない機器ばかりだったので故障は日常茶飯事。それにもめげずメンバー以下僕もスタッフも黙々と制作作業を続け、ついに〈テクノ・ポップ〉という音楽を築き上げたわけです。テクノ・ポップ=忍耐と言えましょう。

コンサートに至ってはおびただしいほどの機材で、2度のワールド・ツアーをものすごい故障もなく乗り切れたのは奇跡に近いと思います。初めてのワールド・ツアーでは僕が後ろ向きで操作をしていたのを取材記者が見て、「あなたはステージで何をしているんですか?」と質問されたことがあります。つまりプログラマーがステージに上がっていっしょに演奏することが異様に映ったのでしょうね!

そんなこんなで結成から25年の歳月が流れてしまいましたが、いま聴いても古さを感じさせないし、ノスタルジック?なんてことは絶対にないし、むしろYMOをリアルタイムで知らない世代にとっての指標音楽になっているのではないでしょうか。

松武秀樹:51年横浜生まれ。20歳のときに冨田勲に師事、ムーグ・シンセサイザーによる音楽制作を経験する。78年に発表された坂本龍一のアルバム『千のナイフ』参加をきっかけに、その後、YMOのサウンド・プログラマーとして制作に貢献。最近では自身のユニット、Logic Systemにおいて、主にインターネットにて作品を配信している

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