SEAN PAUL(2)
いい音楽をやっている自信がある
「リリックは89~90年、17歳のときに書きはじめた。同じ年のブジュ・バントンがちょうど19歳ですごい売れ出したときは刺激を受けたし、尊敬したよね。それで本腰を入れはじめた」。
その後、業界内で徐々に力をつけて96年にファースト・シングル“Baby Girl”をリリース。“Infiltrate”や“Excite Me”“ Deport Them”といったヒット・シングルを放った後、満を持して2000年に『Stage One』でアルバム・デビューを果たしたのだから、比較的遅咲きではある。だが、その咲き方は大輪にして新種。このたびリリースされたセカンド・アルバム『Dutty Rock』は、彼の幅広い音楽的バックグラウンドが透けて見える好内容だ。ダンスフロアが沸き立つこと請け合いのストレートなダンスホール・チューン“Like Glue”や“Get Busy”から、60年代のスタジオ・ワンの名作をリメイクした“I'm Still In Love With You”、ヒップホップ色の強い曲まで多彩に配置。ラップを披露しているルーツのヒューマン・ビートボックス担当、ラーゼルやプエルトリカン系DJ、トニー・タッチは「いっしょにコンサートをしたときに、楽屋でお互いの作品に参加する約束をして、実現させた」と話す。プロデューサーにはNYで〈貴公子DJ〉と異名を取るマーク・ロンソンや、前置き不要のヒットメイカー、ネプチューンズ、ジャマイカ側は重鎮スライ&ロビーやスティーリー&クリーヴィー、レゲエのメジャー作品には欠かせないトニー・ケリーや、若手のトロイトンやフラヴァが曲を提供している。トニーの弟、デイヴ・ケリーとはごく最近までいっしょに組んだことがなかったという。
「デイヴ・ケリーはジャマイカのダンスホール・シーンでNo.1ヒットをいちばん作っている人だから、俺が彼のレヴェルに達しているかチェックしてたんだと思う。長いことかけて自分の力を証明したわけで、その点は納得もしてるな」。
育ちの良さが出るのか、熾烈なジャマイカ・ダンスホール・シーンにおける自分の立ち位置については、あくまで謙虚だ。バスタ・ライムスやジェイ・Zのアルバムに招かれるような人気者ではあるのだが。
〈ダーティー・ロック〉をパトワ(ジャマイカ訛りの英語)で表現した『Dutty Rock』は、メンツや曲調はカラフルであるものの、通して聴いた後〈ダンスホール・レゲエのアルバム〉以外の何者でもない、という印象を残す。物腰も語り口もソフトなショーン・ポールだが、マイクを握ると確固たる自分のスタイルを持つ〈レゲエDJ〉以外の何者でもないからだろう。ストレートなダンスホール・レゲエのままUSアーバン・ミュージック・シーンの殻を破った“Gimme The Light”はエポックメイキングな曲だ。が、インパクトが大きかったぶんだけ、今後これ以上のヒット曲に恵まれなかった場合、アメリカでは〈One Hit Wonder〉、つまり〈一発屋〉と呼ばれる可能性もある。しかし、この意地悪な指摘をすると、本人は真剣な面持ちで即答した。
「(アメリカで)一発屋で終わるのは怖くない。いい音楽をやっている自信があるから」。
この発言から3か月後。アルバム『Dutty Rock』はビルボード・チャートで大健闘中である。2003年のショーン・ポールが楽しみだ。