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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2003年02月13日 16:00

更新: 2003年03月13日 18:05

ソース: 『bounce』 239号(2002/12/25)

文/Minako Ikeshiro

突如、世界的なビッグ・ヒットを放った新鋭

偉業を成し遂げたショーン・ポール


 2002年はUS市場でダンスホール・レゲエが脚光を浴びた年だった。バウンティ・キラーとレディ・ソウがノー・ダウトの作品にフィーチャーされ(その後、プロモ・クリップの取り扱いで揉めたけれど)、ビーニ・マンは『Tropical Storm』でインターナショナル・レゲエをもうひとつ〈上〉に引き上げた。それよりも、何よりも大きかったのが、ショーン・ポール“Gimme The Light”がアメリカのチャートでフツーにヒットしたこと。ダンスホール・レゲエがアメリカでフツーに売れるのは尋常なことではない。さらに“Gimme The Light”はラジオでヒット→ビルボードでチャートインする〈通常コース〉から、ワンランク・アップの展開、つまりプロモ・クリップがMTVやBETのリクエスト番組で人気を集める〈特上コース〉にシフトした。B2Kやネリーやエミネムのプロモ・クリップの合間に、〈ギミダラ~イト〉が流れたのは痛快このうえなかったし、〈エスニック音楽〉、つまり〈イロモノ〉に近い扱いを受けていたダンスホール・レゲエが合衆国の市民権を得たようにも思えた。〈でかした、ショーン・ポール!!〉とジャマイカ人およびジャマイカ系移民のみならず、世界中のレゲエ・ファンが諸手を上げて喜んだところで2002年は暮れるわけで。

この偉業を成し遂げたショーン・ポールの基本データを、いちおう押さえておこう。なお、発言部分のインタヴューはアトランティックとのメジャー・ディールが決まる前、2002年の秋口に取ったものだ。現在29歳の彼は、父親がポルトガル系ジャマイカ人で母親が中国系ジャマイカ人、生まれも育ちもキングストンのアップタウン(セント・アンドリュー/山の手)。10代の頃は国体級の水泳/水球選手で、大卒だったりもする。ゲットー出身のアーティストが多いジャマイカ・レゲエ業界では変わり種である。

「俺の育った地域から音楽業界に入る人は少ないから確かに珍しいね。自分では、階級とかあまり気にしない新しい世代の代表だと思っている。ジャマイカはまだまだ貧富の差が激しいし、偏見もまだ根強いけれど、そういうことに左右されないで好きなことを追求しているんだ」。

ちなみに、ジャマイカの上流階級はレゲエではなくソカを聴いていると筆者は長年認識してきた。「父親の世代はソカが大好きだけど、俺は子供のときから大嫌いだった。ダンスホールとヒップホップばかり聴いていたんだ」とショーン。

「めちゃくちゃな金持ちではなかったから、大好きなスーパー・キャットの曲ももっぱらテープで聴いていたよ。アルバムで持っていたのは『Sweet For My Sweet』くらいだ。叔母が連れて行ってくれたディスコでエクスポゼといったアメリカのグループの音楽を早く聴いていたし、友達の家に衛星放送があったからMTVでヒップホップを知ったんだ」。

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