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特集

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年10月24日 18:00

更新: 2003年03月12日 19:40

ソース: 『bounce』 236号(2002/9/25)

文/JAM、林 剛

黄金時代のフィリーは才能のるつぼだった!!!!!

THOM BELL
 ギャンブル&ハフに匹敵するフィリー・ソウルの大立役者。3頭の像をあしらったロゴでも有名なマイティー・スリーは彼ら3人から成るフィリー屈指の音楽工房だった。同地で関わったプロデュース・ワークのキャリアも長く、デルフォニックス“La La Means I Love You”を皮切りにスタイリスティックス(彼らの全米ブレイクはトムの貢献があってこそ)、スピナーズ(モータウンからアトランティックに移籍した彼らをフィリーで迎えたのもトムだった)といったグループを70年代初頭から手掛け始め、リンダ・クリードとコンビを組んでからはフィリーにとどまらないネイションワイドな活躍を90年代まで続けた。まさにフィリー・ソウルの父のような存在である。(JAM)

BILLY PAUL
 72年に生まれた“Me & Mrs. Jones”の記録的大ヒットでその名をブラック・ミュージック史に深く刻み込んだヴォーカリストだが、ギャンブル&ハフとの関係も長いこの個性派はフィリー紳士録にも欠くべからざる存在である。ジャズの素養を存分に活かした独特な歌い口はどのレーベルメイトともダブらない突出したキャラクターを備え、流行になびかないコンセプチュアルなアルバム作りを一貫して行える才覚はPIRのレーベル・カラーをよりカラフルにする役割をも負った。大ヒットこそ先の“Me & Mrs. Jones”のみにとどまったが、PIRに残されたアルバムはどれも彼ならではの豊かな着想に基づくクリエイティヴなソウル・サウンドに満ちている。(JAM)


79年の『TP』(Philadelphia International/Right Stuff)


93年の『A Little More Magic』(Elektra)

TEDDY PENDERGLASS
 日本での愛称はテディペン。ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツの一員としてそのキャリアをスタートさせたテディ・ペンダーグラスは、76年まで同グループのリード・シンガーとして活躍。ソロ転向後は“Close The Door”“Turn Off The Lights”“Love T.K.O.”などのヒットを放ち、端正なルックスと野太くダイナミックなバリトン・ヴォイスで黒人女性の心(&カラダ)を奪った。82年には不運にも交通事故に遭い、半身不随となってしまうが、84年にはアサイラムから復帰し、現在も地道に活動中。93年の『A Little More Magic』ではレオン・ハフや、タッチ・オブ・ジャズ在籍時のヴィクター・デュプレーが楽曲を手掛けるなど、いまなお新旧のフィリー勢に慕われている地元のヒーローだ。(林)

McFADDEN & WHITEHEAD
 ジーン・マクファデンとジョン・ホワイトヘッドによるデュオ/ソングライター・コンビ。当初はスタックスのエプシロンズというグループに在籍し、続いてトーク・オブ・ザ・タウン名義で活動していた2人は70年代初頭にPIRと専属ライター契約を結ぶ。出世作となったオージェイズ“Back Stabbers”など押しの強いダンス・ナンバーを得意とし、79年に自分たちが放った“Ain't No Stoppin' Us Now”はPIRを代表する名曲に。なお、BBEから2003年にリリースが予定されているラリー・ゴールドのリーダー作では2人が同曲のリメイクを披露するそう。また、87年にはジョンの息子2人がホワイトヘッド・ブラザーズとしてデビューしている。(林)

JOE TARSIA
 シグマ・サウンド・スタジオのオーナーで、フィリー・ソウルの、あの絹のように滑らかなサウンドを仕立てた敏腕エンジニア。カメオ/パークウェイのエンジニアからスタートし、ギャンブル&ハフ、トム・ベルらとともにフィリー・ソウルのすべてを見てきた伝説の男である。本人いわく「ミュージシャン同士がお互いを感じ合えることが大切なんだ」と、当時のシグマでは、生演奏感や高揚感を出すために各プレイヤーをなるべく近づけて録音したのだそう。ジョーが一番お気に入りの曲はオージェイズの“Back Stabbers”。息子のマイク・ターシャもエンジニアで、レヴァート関連のR&B作品などでも活躍中だ。(林)

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