Birth of Philly Soul
フィリー・ソウルの誕生
フィラデルフィア・ソウルの黄金時代といえば間違いなく70年代だ。ギャンブル&ハフが設立したフィラデルフィア・インターナショナル(PIR)からは本当にたくさんのヒットが生まれた。けれどその黄金時代は、当然ながら突然始まったわけではなく、長い時間をかけて形を整え、磨き上げられていった結果、である。
フィリーには、いわゆるフィリー・ソウルが全盛を誇る以前から独自の音楽シーンがあった。その起点となったのが、56年に設立されたカメオ/パークウェイというレーベルで、ここからはチャビー・チェッカーの“The Twist”という大ヒット(60年全米1位)が生まれ、フィリーが音楽都市(特にダンス・ミュージックの)として認められる最初のキッカケを作った。その後、同社からはディー・ディー・シャープの“Mashed Potato Time”というヒットも誕生し、同時に、バーバラ・メイソンを抱えたアークティックをはじめとする地元レーベルが競い合うようになっていく。こうした中で裏方として活動していたのがケニー・ギャンブルやレオン・ハフ、トム・ベルたちで、レコーディング現場には後のMFSBの面々や、エンジニアのジョー・ターシャという人たちも顔を見せていた。
60年代中期には、コンビとなったギャンブル&ハフがカメオ/パークウェイのスタジオを使って録音を開始し、67年にソウル・サヴァイヴァーズが“Expressway To Your Heart”のヒットを出したのを皮切りに、地元のイントゥルーダーズもヒットを連発、ヴォルテージは徐々に上がっていく。カメオ/パークウェイは68年に倒産してしまうが、舞台はすぐさまシグマ・サウンド・スタジオに移された。そして同年、トム・ベルが立ち上げたフィリー・グルーヴからデルフォニックスが登場し、“La La Means I Love You”が全米4位/R&B2位をマーク。これを受ける形で、ギャンブル&ハフは69年にネプチューンを設立(すぐに倒産)、トム・ベルとマイティー・スリーという音楽出版社を立ち上げ、続いてPIRを誕生させる。フィリー・ソウル黄金時代の幕開けである。
以後のPIRの躍進については、皆さんご存知の通り。サウンドも一段と洗練されたものになり、70年代初頭にはオージェイズが“Back Stabbers”を、ビリー・ポールが“Me And Mrs. Jones”を、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツが“If You Don't Know Me By Now”をそれぞれ全米/R&Bチャートの上位に送り込み、フィリー発のソウルは全米~世界で人気を得ていく。もちろんPIR以外でも、デルフォニックスに続いてトム・ベルが手掛けたスタイリスティックスが“Betcha By Golly, Wow”などでスウィートなソウルを展開したり、デトロイトからやってきたスピナーズがやはりトム・ベルのバックアップで“Could It Be I'm Falling In Love”などのヒットを放ったりと、フィリー・ソウルは破竹の勢いで大躍進。MFSBの“TSOP(The Sound Of Philadelphia)”がTV番組「Soul Train」のテーマ曲として流されていた73~75年頃には、フィリー・ソウルのブームは頂点に達していた。
この勢いは以降も続き、75、6年頃からはこのブームにあやかろうと各地からフィリーのサウンドを求めてシグマにやってくる、いわゆる〈フィリー詣で〉も活発化。PIRからはジャクソンズやソロ転向したテディ・ペンダーグラスなどの新しいスターが誕生し、77年にはPIRのスターが集結したフィラデルフィア・オールスターズ名義の企画曲“Let's Clean Up The Ghetto”が発表されるなど、好調を示す出来事も相次いだ。一方で、MFSBのメンバーの一部がギャンブル&ハフの下を離れたことでサウンドが若干変化したりもしたが、ある意味、現在のネオ・フィリー・ソウルに繋がるようなメロウなサウンドがデクスター・ワンゼルらを中心に生み出されていたことは、これはこれでフィリー・サウンドの成長(成熟)と言えるものだった。
と、こうして70年代も終わりを迎えようとしていた頃、フィリーがダンス・ミュージックの街であることを再確認させてくれたのが、マクファデン&ホワイトヘッドの79年ヒット“Ain't No Stoppin' Us Now”である。以降80年代にかけて、PIRにはジョーンズ・ガールズやスタイリスティックス、パティ・ラベルらが入社し、新たな時代が築かれようとしていた。……しかし、この時期のPIRではCBSコロムビアとの不和やギャンブル&ハフの不仲が囁かれ、82年のテディ・ペンダーグラスの自動車事故という不運も重なってか、結果、PIRは83年にいったんその幕を降ろす。
だが、ここで終わらないのがフィリーである。80年代中期、PIRはEMIマンハッタンの配給で再起してシャーリー・ジョーンズやフィリス・ハイマンなどを送り出し、87年にはオージェイズの“Lovin' You”をR&Bチャート2位にまで導いている。そして90年代以降も配給元を変えながらベテランのデルズや新人のノー・クエスチョンなどのアルバムを制作、一方でジェイムズ・ポイザーなどの新世代クリエイターも育ててきた。「PIRはフィラデルフィアを一度も離れたことがなかった……それが大切なんだよ」と語っていたのはラリー・ゴールド。オールド・フィリーの精神は、現在に至るまでしっかりと受け継がれているというわけである。
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