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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年10月24日 18:00

更新: 2003年03月12日 19:40

ソース: 『bounce』 236号(2002/9/25)

文/JAM

あの頃は本気で遊んでたよ

 そんな2人の気概と進取の気性に支えられるような格好で、PIRはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ、ビリー・ポール、スリー・ディグリーズといったアーティストたちの矢継ぎ早なヒットを通じて、瞬く間に70年代を象徴するレーベルへと飛躍を遂げる。彼らのもとには才能確かなアーティストのみならず、優秀なプロデューサー陣/ミュージシャン陣も続々と集まり、一大帝国が築き上げられる。そのうえ、他地域のアーティストも我先にとフィリーへ出向き、シグマ・サウンド・スタジオでのレコーディングは流行のようにもなった。このあたりのことについて、2人はこのように述懐している。
ギャンブル「あれは奇跡だったんだ。だって、そうだろう? 皆がひとつの場所に一斉に集まったっていうのは奇跡と呼ぶしかないじゃない。音楽が動き始めた途端に、人々が集まってきたんだ。僕たちがいたからじゃないよ。ここで生まれる音楽そのものがマグネットみたいなものだったんだ。皆を思いきり引き付けてさ、皆がそんな音楽の一部になろうと集まってきてくれたんだと思うよ」

ハフ「この街、そうフィラデルフィアのプロデューサー・コンビからコンスタントにヒットが生まれ始めたっていうのに皆が感動してくれたんじゃないかな。とにかく次々とヒットが生まれちゃったからなあ。いつからか、チャートインさせるために新しい曲を作る、みたいな感覚に変わっていたからね。自分でも信じられなかったくらいさ。そうやってこのPIRのビルから生まれる音楽のヒット率が皆に認識されるようになったってこともたくさんの才能が一気に集まった理由のひとつだろうね。他のスタジオでもそうだろう? ヒット曲の生まれやすいスタジオがあれば、誰だってそこでやってみたくなるじゃない? だから、誰しもがフィラデルフィアにやって来て僕たちのスタジオでレコーディングしたがったんだ。デヴィッド・ボウイも来たし、エルトン・ジョンも来た。BB・キングに、アリス・クーパーまで……誰もがフィリー・サウンドやPIRの魔法が欲しくてフィラデルフィアに来たんだよ」

 そんなPIRの黄金期、彼らは一体どんな雰囲気で、どんな制作活動に勤しんでいたのだろう。レオン・ハフがこう回想する。

ハフ「もう毎日が本当にワクワクものでね。ライヴ・ショウをやるようなクラブもそこら中にあったし、ソングライターやプロデューサー、ミュージシャンだって至るところにたむろってたものさ。ただ、遊んでた……本気で遊んでたよ。あれこそ僕の人生のまさに頂点だったかもしれないね。毎日笑い転げてさ(笑)」

 堅苦しい話は何ひとつ飛び出さず、何から何までが楽しい思い出で一杯のような語り口なのである。この音楽に対する開放的な感覚、これが現在のフィリー・シーンにもごく自然に受け継がれているのではと思わずにはいられない。そんな彼らのこと、現在の〈ネオ・フィリー〉ブームにもこの通り、温かい視線を注いでいる。

ハフ「ワクワクできて、そりゃあ快感だよ! 若いアーティストたちがノリにノッてるのを見ているのは最高さ。世代を超えるたびに才能は増えていくものだから楽しみさ。とくにジル・スコット!」
ギャンブル「ジル・スコットは本当に素晴らしいね。僕はルーツも好きだよ。こういう若手のアーティストはみんな良いと思ってるさ。DJジャジー・ジェフも言うことないしね」

 で、最後に。これぞフィリー・サウンドと言える曲を彼らに選んでもらった。それに答えてくれたのはケニー・ギャンブルだ。

ギャンブル「MFSBの“Love Is The Message”かな。あの曲はフィリー・サウンドのポイントをすべて掴んでる曲だね。オーケストラは最高傑作というしかないし、アレンジも含めてあれこそがフィリー・サウンドの典型だよ。その前にMFSBこそが最強のグループなんだけどね」

 ちなみに、〈Mother, Father, Sister, Brother〉の頭文字を取ったこのMFSBは、自分たちが家族のように楽しめる雰囲気を作りたいという願いから付けられたバンド名らしい。そして、兄弟愛の街=フィラデルフィアの伝統を改めて思う。

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