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思い出話にはならない存在感(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2002年09月07日 18:00

更新: 2003年03月13日 18:43

ソース: 『bounce』 231号(2002/4/25)

文/イノマー

勝利を掴んだ彼らのメッセージ

“未来は僕等の手の中”(作詞・作曲/真島昌利)から始まる偉大なるロックンロール・アルバム。ライヴでヒロトが拳振り上げるオーディエンスに向かって、「みんなのその振り上げた手の中じゃ!!」と叫び、演奏されていたのを覚えている。ヒロトとマーシーに共通している点は、2人とも言葉の達人であるということである。“人にやさしく”(作詞・作曲/甲本ヒロト)という曲に関してヒロトが「人にやさしくされたいから、人にやさしくするんだ」みたいなことを言っていたのを聞いて、なるほど、と思った。ヒロトの言葉でいまでもボクのなかに残っているのは、「ダイヤモンドの行商人がやって来て、<このダイヤモンドは永遠の輝きです>なんて言うけれど、せいぜい100年しか生きられない人間に永遠の輝きを売りつけてどうするんだ?」というような名言。うん。ホントにそのとおりだと思った。とっても、あたりまえのことなんだけど、そういったことに気づかせてくれたのがブルーハーツだったと思う。話が前後してしまうが、ブルーハーツはメジャー・デビューの年の2月にインディーズで“人にやさしく/ハンマー”というシングルを残した。情けない話、“ハンマー”(作詞・作曲/真島昌利)を初めて聴いたときには腰が抜けそうなぐらいショックを受け、同時に身体中の水分が全部なくなるほどに泣き崩れてしまった。それはたった一行。<外は春の雨が降って 僕は部屋でひとりぼっち>という歌詞のせいだ。すごいフレーズだ。田舎から出てきて一人暮しを始めたばかりの当時のボクにはとんでもなく突き刺さった。彼女はもちろん、友達さえいなかったボクは薄暗い四畳半のアパートで膝を抱えてワンワンと泣いてしまったのを覚えている。でも、それはボクが特別だったわけではないと思う。そういう少年たちは山ほどいたはずだ。ロック・ミュージックにおける歌詞の重要性を再認識させてくれたのがブルーハーツだった。それが証拠に彼らの登場以降、当時、数多くのブルーハーツもどきバンドがシーンに出現した。が、残念なことに、そういったバンドたちの歌詞はあまりにも稚拙で役不足であった。何度も言うがブルーハーツはロックンロールの天才でもあり、言葉を自由自在に操る天才でもあったのだ。いまから考えれば、とんでもない相手にケンカを売っていたことに気づくであろう。

 ボクは何度も言っているのだが、当時のブルーハーツという存在はコロンブスの卵のようなものであった。なんで誰もやらないんだろう、でも、いつか必ず誰かがやるな、と思っていたことをサクっとやったのが彼らだった。例えば“人にやさしく”のなかで〈がんばれ〉というフレーズが出てくるが、当時はロック、しかもパンクで〈がんばれ〉というフレーズは何となくではあるが御法度であったのだ。が、その何となくを何となくで済まさなかったのがブルーハーツだった。〈言ったもん勝ち〉〈やったもん勝ち〉という言葉があるが、まさにそれ。ブルーハーツが混沌としていた80年代中盤~後期を突き抜けられたのは、言葉が持つとんでもない魔法を身につけていたからにほかならない。

 さて、87年には早くも2枚目のアルバム『YOUNG AND PRETTY』をリリースした彼ら。これがまた素晴らしかった。マーシーの歌う“ラインを越えて”(作詞・作曲/真島昌利)なんていうブルース・ロックは、もうすでにビート・パンクという域を軽く越えていた。そして、なんといってもこれまたマーシーの歌う“チェインギャング”(作詞・作曲/真島昌利)に号泣。甲本ヒロト、真島昌利という偉大なるメロディーメイカーを擁していたところがブルーハーツの武器でもあった。しかし、1年間にこんなすげーロックンロール・アルバムを2枚も作っちゃうってどうなんだろ? 考えてみれば、この時点でメンバーはもう20代中盤だったわけである。デビュー年齢としてはそんなに早い年齢ではない。ヒロトが昔、「ブルースマンとかは40、50でデビューしてるんだから、歳なんか関係ないし、焦ることなんてない」みたいなことを言っていたのを考えると、なるほどな、と納得。88年にはこれまた名盤と名高い3枚目のアルバム『TRAIN-TRAIN』を発表し、そして、90年にはレコード会社を移籍、『BUST WASTE HIP』という、あきらかに彼らにとって脱ビート・パンクというアルバムを完成させた。87~90年、ブルーハーツというバンドのスピード感にはすさまじいものがあった。作品的にも代表作も多く、次世代バンドマンへの影響力の高い楽曲もこの当時のものが多い。もちろん、個人的には後期名作『STICK OUT』(93年)も絶対にハズせないわけだが、やはり、87~90年にかけての作品が多くの人に聴かれている。

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