運命的な出会い(3)
厳格なスタイルの追求
レーベル移籍第1弾となった『Melodies』(83年)には、バック・メンバーの結束力も手伝い、ちょっとやそっとじゃへこたれない強靱な生命力をもった楽曲(“CHRISTMAS EVE”が証明している)が集結した。
また、ここにはいままでとは異なる内省的ムードが含まれていた。オリジナル曲の全作詞を自身が担当したことの影響も大きかった。かつてのストラトキャスターによる心地良いカッティングが控え気味になり、アコギの柔らかな音色が増したことなどの構造上の変化などが〈安定〉の一語を導かせる。
だが、やはりそんな大雑把な評価は控えねばならない。この時期からの作品には、まるで小津安二郎の映画のように、より厳格なスタイルを追求していった先にある、驚くべき自由な世界への到達が見られるのだ。
厳格さの徹底ゆえにポップス・マニアのミュージシャンが陥るような、箱庭的世界への着地を、彼は回避している。つまり、ポップス&ロックの限界点への挑戦によるアクティヴィティーによって、より広大な地平が描き出されるようになったわけだ。
『POCKET MUSIC』(86年)でおこなわれた自己模索作業は、初の日本語タイトルが与えられた『僕の中の少年』(88年)におけるさまざまな事柄の再発見、再認識へと繋がりをみせ、石川達三の小説と同タイトルの“蒼茫”という新世界を生み出すに至る。それは〈ラヴランド〉よりもっと大きく、かつ解放的な場所であった。90年に入ってからの『ARTISAN』(91年)、『COZY』(98年)、そして数々のシングル曲には以前とは質の違う眩い解放感が満ちている。この感覚は声を大にしてロックンロール!と呼びたい。
近年コラボレートをおこなった松本隆とガップリ四つに組んでビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』のようなアルバムを作れれば……とか、いずれ〈バリー・マン・ソングブック〉や、カーティス・メイフィールドの『There's No PlaceLike America Today』みたいな作品を作りたい……など、将来に向けての発言に魅力的な予定がいっぱいの達郎だが、そういうものはまだ待っていられるかな?と言えちゃうほどに彼の周辺がまた騒がしくなってきた。とにかく、いまは氏の限定アナログ・ボックス購入のため、金策に頭を悩ませているところ。ははは。キビシ~。
- 前の記事: 運命的な出会い(2)
- 次の記事: 山下達郎を知るための8枚