こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

運命的な出会い(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2002年09月07日 03:00

更新: 2003年03月13日 18:43

ソース: 『bounce』 229号(2002/2/25)

文/桑原 シロー

ソロ・アーティストとして

 破格の待遇である。ファースト・ソロ・アルバム制作のために、達郎はアメリカへと飛んだ。レコード・リリース経験があるとはいえ、あのころの一新人がいきなり本場へ乗り込んでのレコーディングが許されるとは、どれだけ周囲の期待が大きかったかが窺い知れる。

前半は憧れのチャーリー・カレロをアレンジャーに迎えてのニューヨーク・セッション、そして(予算の都合もあり)後半をロサンゼルスで録音した『 CIRCUS TOWN』(76年)は、甘美な都市幻想を謳う吉田美奈子の歌詞と達郎のメロディーが見事にマッチングした作品として完成。ここに以後のスタイルの雛形が出来上がる。

以降、実験的音作りがいまだ新鮮な『SPACY』(77年)、かさむ予算を安くあげようと立案されたにも関わらず、当時の勢いを鮮明にプリントする好結果となったライヴ盤『IT'S A POPPIN' TIME』(78年)、切羽詰まった状況が幕の内弁当的な内容を引出した『GO AHEAD!』(78年)、シック&メロウな『MOONGLOW』(79年)とコンスタントにリリースを重ねていく。が、つねに高い評価を獲得しながらも、セールス面では苦戦を強いられていた。

79年ごろにはCMなどで、徐々に達郎の歌声が世間に高鳴り始めていた。そこにジャストなタイミングで、奇跡的な名曲“RIDE ON TIME”がリリースされる。すると、いままでの冷遇が嘘のように、眩いばかりのスポットライトが彼に向けられ、達郎は一気に華々しい流行児となった。すぐさま発表されたアルバム『RIDE ON TIME』(80年)は、見事大ヒット、チャートの1位に輝く。伝説のTVドラマ「警視-K」の主題歌として、同アルバム収録の“MY SUGAR BABE”が使われたのもこの時期。同ドラマ主演の勝新太郎からお墨付きまでもらった達郎は無敵状態で時代を突き進み、鈴木英人による極彩色のジャケットに包まれた名作『FOR YOU』(82年)へと辿り着く。

『ON THE STREET CORNER』(80年)というアルバムほど、〈執念〉という言葉がふさわしい作品はない。有名無名のオールディーズ、ドゥーワップ・ソングなどをカヴァーするこのシリーズは2作目(86年)、3作目(99年)と、回を重ねるごとにより内容がグレードアップしている。憧憬や諦観などが入り交じった複雑な背景をもったアルバムであり、洋楽という外来文化に対する日本人音楽家からの批評的行動というコンセプトも内包している。しかし、あくまでも耳には柔らか。まるで古典フォークを集めたディランの近作のような感触だ。そして、この感触はこのあと居を移すレーベル、MOONでの作品群に反映されることになる。

インタビュー