70年代 開かれたハワイへの扉(2)
〈ハワイにギャビーあり!〉と聞きつけて、メインランド(アメリカ本土)から飛んできたのが、〈音の狩人〉ライ・クーダー。サニー・チリングワース、アッタ・アイザックス、ピーター・ムーン、それにシリル、ブラ、マーティンというギャビーの息子たち、カントリー・コンフォートを脱退したベースのランディ・ロレンゾらを常連とする、ワイマナロにあるギャビー家の裏庭セッションにライは参加し、すっかりその虜になると、76年には自身のアルバム『Chicken Skin Music』でギャビーをフィーチャー。世界にその名を知らせ、〈ハワイのトラディショナル・ミュージックなんて過去の遺物〉と決めつけていた音楽ファンを目からウロコ状態にしてしまった。
こうして扉が開いてしまえば、後はてっとりハワイ! 〈C&K〉の愛称で知られるセシリオ&カポノ、カラパナ、オロマナといったウェスト・コーストの香りを漂わせる、ロック、フォーク系のハワイアン・グループが湘南や渋谷の陸サーファーたちの間でブレイクすると、リピーターたちはさらにディープにこの〈新しい音の波〉のルーツを求めて、ホノルルのレコード・ショップ通い。ギャビーの一番弟子、ピーター・ムーンがブラザーズ・カジメロと組んだサンデイ・マノアの『Guava Jam』、ハワイ有数の音楽ファミリー出身者、ケオラ&カポノ・ビーマー『Honolulu City Lights』、巨漢イズラエルが在籍していたマカハ・サンズ・オブ・ニイハウなど、それまでレコード・ショップの片隅に追いやられていたハワイ音楽コーナーは年々拡大。増え続ける宝の山を前に嬉しい悲鳴を上げながら、財布をはたいてハワイ音楽文化の復興に基金援助するのだった。
90年代にハパが登場し、ダンシング・キャットがスラックキー・ギターに再評価を与え、学校でフラ、ハワイ語の授業が復活し、甦ったハワイ文化。その波のはじまりはこんな風だったのだ。
文中に登場したアーティストの作品を紹介。
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