懊悩を乗り越えた無邪気なボウイ(2)
エキセントリック中年ボウイ
結局、〈ボウイのバンド〉としてしか評価されなかったティン・マシーンは、91年の『Tin Machine II』とその後のツアーを最後に自然消滅する(ギタリストのリーヴス・ガブレルズだけは、その後もボウイの作品に参加していくことになる)。黒人モデルのイマンと結婚して10年ぶりに妻帯者となったボウイは、よりパーソナルな自己の感情を率直に表現するアーティストとなった。そして、93年、ナイル・ロジャースとの再会を果たした会心作『Black Tie White Noise』をリリースする。86年に自殺した義兄テリーについて歌った“Jump They Say”(大衆スター時代には扱えないサブジェクトだったのだろう)や、アルB・シュア!とのデュエット、ミック・ロンソンと久々の(&最後の)共演、レスター・ボウイを迎えたインスト、さらには“The Wedding Song”など、さまざまな話題を詰め込んだ同作は、久々に全英チャートを制覇した。ボウイ史のさまざまな場面を彩った人たちが参加しているとはいえ、アルバムに懐古的なニュアンスは薄く、逆にフレッシュでさえある。〈もう高く翔ぶことはないだろうけど/僕は微笑んでいられる〉と歌う姿が〈真直ぐに心情を吐露してみせるスタイリッシュな中年〉というキャラを演じたものだと深読みしたくなるほどに。とにかく、ここでボウイは真にリフレッシュされたのだと思う。
足場が確かになったからこそ、その後のボウイはやりたい放題で、実に充実した活動を展開している。同じ93年には『Heroes』の後半をポップに再構成したようなサントラ『The Buddha Of Suburbia』を発表。その延長線上に生まれたのが、95年の『Outside』である。当時流行していた猟奇趣味や異常犯罪をプロットに採り入れたシナリオをボウイみずから執筆。それをもとにブライアン・イーノらとイメージを編み上げたエレクトロニクス主導作品だが、エゴン・シーレのパクリにしか見えない自作ペインティングを得意気にジャケットにするなど、ボウイの楽しげな様子にはこちらも微笑を禁じ得ない。
そこからカットした“Heart's Filthy Lesson”のリミキサーにトレント・レズナーを迎えたボウイは、ナイン・インチ・ネイルズとのツアーを経て予想どおり獰猛な方向へ振り子を戻す。97年のエネルギッシュな『Earthling』だ。無邪気にドラムンベースへと挑んだボウイの冒険は好意的に受け止められた。さらに99年には、オールド・ファンへ宛てたような『Hours...』をリリース。老いのはかなさをゆったり表現した“Thursday's Child”のプロモ・クリップも話題を呼んだ。そして、あのジギーが降りてきたちょうど30年後に登場した『Heathen』は前作の延長線上にありながら、老いを容認するのではなく、怪しくも現在を生き続けんとするエキセントリシティーに満ちたボウイがまたもや姿を現したものだ。
カルト・スターに収まるには見られたい欲求が強すぎ、ポップスターの安楽椅子でぬくぬく生きるにはキャンプ志向が強すぎるボウイ。70年代に魔法を生んだ、その〈どっちつかずの不安定さ〉から一歩進み、あざとさや情けなさも含めて、生身の自身を作品に刻みつけていくことに成功した90年代以降のボウイは清々しい。80年以降がボウイの余生なのかどうか、どうでもいいことだ。こんなに凄まじく濃密な晩年を送っているアーティストは、ボウイしかいない。そして、われわれはそれを見届けることができる。
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