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特集

DAVID BOWIE(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2002年07月11日 18:00

更新: 2003年03月13日 18:53

ソース: 『bounce』 233号(2002/6/25)

文/山口 珠美

ジギーは左手で……

72年、集められた記者たちの前に、メイクを施し、スパイキー・ヘアーにきらびやかなジャンプスーツを身にまとった細身の男が姿を現した。いままで誰も見たことのない奇抜な格好をしたロック・スター、ジギー・スターダストと、そのバンドであるスパイダー・フロム・マーズ。ボウイが新しく描いたシナリオは、架空のバンドで架空の物語を演じることだった。この事件で記者たちは手のひらを返したように〈新スター誕生!〉と書き立て、ボウイの写真は連日紙面を独占した。〈バイセクシャル宣言〉もセンセーションに拍車を掛けた。見事リヴェンジを果たしたボウイは陰でほくそ笑んでいただろう。もちろん『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』はロックンロール・アルバムとして最高の出来だった。しかし、〈ジギー・マジック〉があってこそ時代が動き出したのは事実。街の女の子たちはマスカラをつけた男の子たちを追っかけるようになり、ファッションのお手本はグラム・ロックの教祖であるボウイになった。ベートーヴェンの〈第9〉で幕を開けるドラマティックなステージ上で、美しいボウイとミック・ロンソンが絡む。これだけのことだが、若者の想像力をかきたてるには十分だった。ムーヴメントに火が付くとボウイの噂は海を越え、アメリカや日本へも広がっていく。その頃、ボウイはルー・リードとイギー・ポップをロンドンに招いた。記者会見の席に並んだ異分子3人を見て、彼らが現在に至るまでのロック・シーンにおける重要人物になるとは誰も想像できなかっただろう。この会見を最後にボウイはジギーとしての取材は一切受けないと宣言。以降ボウイは、モット・ザ・フープル“All The Young Dudes”の作曲、ルー・リード『Transformer』のプロデュース、ストゥージズ『Raw Power』のミックスなどを手掛けていくことになる。
 73年、予約だけで10万枚のセールスを記録し、ビートルズ以来のモンスター・アルバムとなった『Aladdin Sane』を発表。サウンドはよりアグレッシヴに変化し、元ジャズ・ピアニストであるマイク・ガーソンの参加もあって、耽美的イメージもいっそうアップした。過激さを増したヴィジュアル演出はまさにカリスマの特権。初のワールド・ツアーで日本を訪れたのもこの年だった。そして、衝撃的な事件が起こったのはツアー終盤にさしかかった7月3日、ロンドン・ハマースミス・オデオンでのこと。ラストの“Rock'n'Roll Suicide”を終えたボウイは、「これが最後のステージ」と〈ジギーの死〉を告げ、パリへ旅立ってしまったのだ。カヴァー・アルバム『Pinups』でひと呼吸おいて、74年にはジョージ・オーウェルのSF小説「1984年」にインスパイアされた『Diamond Dogs』を完成させる。大ヒットした“Rebel Rebel”を収録した同作は、ドラマティックなロック・オペラやソリッドなロックンロールを満載し、自信に満ち溢れたアルバムに仕上がっている。だが、グラムの呪縛から逃れられない自分がいるのにもボウイは気づいていた。
 

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