KEYPERSON-PHUSION REACTOR(2)
DJ ZINC
90年代初頭に盟友スウィフトとともにトラックメイキングに着手。90年代中盤からソロとして再スタートをはかり、ハイプ率いるガンジャ・クルーと合流。ファンク汁全開の“Super Sharp Shooter”(95年)は永遠のドラムンベース・アンセムだ。もっとも、いまのジンクを語るうえで避けられないのは、ニュー・スクール・ブレイクス・シーンにおける数多のお仕事。トゥルー・プレイヤーズからの99年作“138 Trek”は、文字どおりBPM138によるジンク流ブレイクビーツ(通称トレック・ビーツ)で、UKガラージとブレイクビーツとの両分野を地続きにした記念碑。同年、ブレイクビーツ専門の私家レーベル、ビンゴ・ビーツを、続けてスニーカーズ・プロダクションの傘下にランニンを設立。2001年にはソウルジャも始動と、実業家としての才も発揮。ジャミン、ショックスなど多くの名義を抱える。(若杉)
左から、DJジンク『Beats By Design EP』(Tru Playaz)、ビンゴ・ビーツのコンピ『DJ Zinc Presents Bingo Beats』(Bingo Beats)
JOHN B
類稀な音楽性を持つジョンBは、彼の才能に早くから目を付けていたDJ SSのレーベル、フォーメーションや、そのサブ・レーベルであるニュー・アイデンティティーを中心に活動。また、99年にスタートした自身のレーベル、ベータや、メタルヘッズなどからも作品をリリースしている。彼の素晴らしさはブラジル名義でのラテン・チューン“Salsa”、ハードコア・トラック“Up All Night”という傑作シングルを次々放つ一方で、アルバム作品も精力的にリリースしている点。98年の『Visions』以降、『Catalyst』『Redox』『Future Reference』と、クォリティーの高いアルバムをコンスタントに発表し続ける創造力は驚異的だ。(青木)
上から、ジョンB『Visions』(New Identity)、『Catalyst』(Beta)
FREQ NASTY
ラガ、ヒップホップに影響されたブレイクビーツで人気を集めるフレック・ナスティ。飛びきりダークでハードなサウンドとコミカルな要素が彼の持ち味だ。95年にボッチ&スカーパーの一員となり、“Boomin' Back Atcha”で同レーベルからデビューして以来、数々のトラックを残す。99年の傑作『Freq's Geeks & Mutilations』は、ニュー・スクール・サウンドの注目が高まった時期とも重なり、大きな話題となった。
現在はスキントと契約を交わし、“That's My Style”“Amped”などのシングルをリリース。また、『Electric Kingdom 2』に収録されたDJディー・クラインとのコラボレート曲“Every Posse & Crew”も最近話題に。(青木)
左から、フレック・ナスティ『Freq's Geeks & Mutilations』(Botchit & Scarper)、ニュー・スクール・ブレイクス周辺のコンピ『Electric Kingdom 2』(Slimstyle)
J. MAJIK
まだ10代だった94年に、自身のレーベル、インフラレッドを設立。95年からメタルヘッズに参加して、“Your Sound”や“Jim Kutta”といったシングルをリリース。インフラレッドには彼をリスペクトするビッグ・ネーム、ゴールディー、ディーゴ、ペシェイ、レモンDらが参加し、レーベルは発展の一途をたどる。98年にはアルバム『Slow Motion』をリリースし、徐々にアンダーグラウンドでの基盤を固めていく。そして大きな転機の呼び水となったのがハウス・レーベル、ディフェクティッドとのコラボレート作品“Love Is Not A Game”だ。ハウシーなこのヴォーカル・チューンはフロアを飛び越え、UKナショナル・チャートでも上位に食い込む大ヒット。アンダーグラウンドから一気にメジャーな存在となった。今後の動向が注目されるひとりだ。(青木)
左から、J・マジック『Slow Motion』(Infrared)、J・マジックによるミックスCD『7 Live #5』(Seven)