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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年06月12日 16:00

更新: 2003年03月13日 18:59

ソース: 『bounce』 232号(2002/5/25)

文/高橋玲子


高橋「97年ぐらいから日本盤のリリースも増えたし。フリーペーパー〈FUTURE〉とか、リキッドルームの〈Drum'n' Bass Sessions〉とかあちこち盛り上がって、楽しかったなあ。ひとつのカルチャーになってたし」

青木「いまほどレーベルが濫立してなくて、CDもアーティスト・アルバムも実はそんなに多くはなかった。やっぱりアナログ文化だから」

高橋「だからこそ、ロニ・サイズ・レプラゼントが夏にアルバムを出したのは大きかったかも」

青木「その時期にガリアーノも解散して……ラスト・ライヴ行ったけど、世代交代を感じたね。トーキング・ラウドと契約したのは、ロニ本人だけじゃなくドラムンベース全体にとっても大きな事件だったと思う。それまで興味のなかった人たちにも聴くきっかけを与えたわけだし」

高橋「ジャイルス・ピーターソンの人脈や影響力は凄いからなあ」

出嶌「私のようなソウル親父にも届きましたからね(笑)」

青木「メジャーの力って、そういう意味では必要なんだよね」

出嶌「そうですね。そんななかで、97年秋にゴールディーがセカンド・アルバム『Saturnz Return』を出しますが……ツラ構え的にはイイんですよね、この人は」

青木「でも中身はここで凄く変わったよね……KRS・ワンはともかく、ノエル・ギャラガーがゲストだったりロック寄りの姿勢を強く感じた」

高橋「ビョークと付き合い出したから(笑)? これさあ、2枚目の長いインスト“Mother”は正直ちょっと……」

出嶌「その〈意味ありげ感〉も悪い意味でロックっぽいですよね(笑)。でも、ディーゴやロニがそういう方向に行かなかったのは良かった」

高橋「ロニもウータンと絡んだりはしてたけど……結局はアンダーグラウンド気質が抜けない人たちなんでしょうね。大金遣ったりビッグネームの名を借りるよりも、気心知れた仲間と好きな音楽をやってレコード何枚も出したいんじゃないかなあ。それで優れた作品をちゃんと作れてるから、評価が下がらないし」

青木「ハイプとかジンクみたいに違う芸風を打ち出して残ってる人もいるね……そういえば、彼らはかつて〈ジャンプ・アップ〉と言われてたね(笑)」

高橋「瞬間芸的なところはジンクの〈トレック系〉にも共通してたかも。それにしてもあのころは百花繚乱というか……〈ジャズ・ステップ〉〈テック・ステップ〉〈アートコア〉〈ダークコア〉とかフィーリングでいろんな呼び名が付いてたなあ(笑)懐かしい」

出嶌「で、98年には4ヒーローが『Two Pages』を出してる。同じ年にサンシップがアルバムを出してるのも埋もれがちですが重要かな。で、年末にファットボーイ・スリムのアレが出て、いっそうビッグ・ビートなことになるんですね」

青木「ドラムンベース周辺のリリース量も落ち着いて、大きなトピックはそっちのほうだったね。99年ごろには、〈ドラムンベースは終わった〉みたいな言い方されたり……」

高橋「まあ、ちょっと男気入り過ぎの感もあって、とくに女子には聴きたいモノが少なかったかも。でも、このころすでにアートフル・ドジャーの“Movin' Too Fast”は出てたわけで……早いねえ」

出嶌「で、ネオン・フュージョンのアルバム以降〈ブロークン・ビーツ〉〈西ロン〉で盛り上がるわけですけど」

高橋「〈西ロン〉って言葉は便利っちゃあ便利だな。音楽自体は特別に画期的でもないと思うんだけど……アシッド・ジャズ世代の友人は普通に聴いてたし」

出嶌「一周して普通のジャズ・ファンクだったりしますから(笑)」

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