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特集

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年05月16日 12:00

更新: 2003年03月12日 18:17

ソース: 『bounce』 231号(2002/4/25)

文/酒井 透

アフリカ音楽の現在を象徴するスタイルの数々

アフロビート

ナイジェリア・ヨルバ族の伝統音楽のエッセンスや、ガーナのポピュラー音楽であるハイライフ、ジェイムズ・ブラウンをはじめとするファンクやジャズなどの音楽を引用しながらも、こってりとした麻薬的な味わいを加味することによって、アフロビートという独自のジャンルの音楽を創作することに成功したフェラ・クティ。彼が逝って5年目の夏を迎えようとしている。

フェラが晩年に演奏していた曲たちが、とんでもないクォリティーだったことは何度となく書いてきたが、没後5年近く経ってみるとフェラが作ったアフロビートという音楽のスピリットというものが、現在も確実に受け継がれていることをあらためて実感させられる。フェラの息子であるフェミ・クティが自分の家の近くに再建したアフリカ・シュラインというコンサート会場には、アフロ・ヒップホップ(アフロビートとヒップホップを融合させたポップ・ミュージック)という新しいジャンルの音楽を演奏する若手のグループが出演しているし、17歳になる同じくフェラの息子のシェウン・クティ(フェミとは異母兄弟)が、フェラのバンドだったエジプト80をバックに父が晩年に書いた曲を歌っている。また、エジプト80に在籍していたドラマーのトニー・アレン爺はパリを活動の拠点としてアフロビートを発展させたダンス・ミュージックに取り組んでいるし、先述したフェミ・クティは自己のバンドであるポジティヴ・フォースを統率し、ワールドワイドな活動を続けている。

99年8月、〈フジ・ロック〉に出演するために初来日したフェミに僕はインタヴューをする機会を得た。そのときフェミは「(大統領になった)オバサンジョは民間人になりすましているが、もともとは軍人だったんだ。77年に彼の軍隊は父(フェラ・クティ)の家を焼き払っている。ナイジェリアの現状を考えると、闘うことでさまざまな問題が解決するとは思わないが、オバサンジョが直接的な行動に出てくるようであれば僕は彼らを批判した曲を書く!」と答えた。しかしフェミは4枚目のアルバム『Shoki Shoki』(98年)で民衆にメッセージを投げかけるような曲を書いていても、フェラのように政治家を批判するような曲は書いていなかった。

だがつい最近、アフリカ・シュラインに行ってみると、こう書かれたポスターが貼られていたのである。〈電気をよこせ。水をよこせ!〉。フェミの周りで働いている男たちに訊くと「2か月くらい前にフェミは大キャンペーンをやったんだ。ポスターをクルマに貼りつけて群衆を引き連れてデモをやった。オバサンジョに対してね!」と答えた。

僕は彼らの表情や、ナイジェリアでおこなわれているフェミのコンサートを観ているうちに、アフロビートは、フェミを中心に新しい時代に突入したことを確信した。

アフロビートの代表作品を紹介。

インタビュー