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特集

時代を超えてクラブで鳴り響くアフリカ音楽

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年05月16日 12:00

更新: 2003年03月12日 18:17

ソース: 『bounce』 231号(2002/4/25)

文/若杉 実、bounce編集部

オレのオツムに狂いがなければ、クラブ的手法でアフリカ音楽に挑んだ最初の作品は、クラブ<グレイト・オール>の経営者でもあったUKのドラマー、ラスティ・イーガンによる“Brundi Black”(ブルンディの伝統音楽をサンプリング)で、それは81年のことだった。83年には、かのお騒がせ男、マルコム・マクラーレンが自身のアルバム『Duck Rock』において、コラージュ的にアフリカ音楽を採り入れていたのが懐かしくも記憶に新しい。また、80年代半ばになると反アパルトヘイトの動きが音楽シーンのなかでも高まり、ヒップホップ側からもステッツァソニックの“A.F.R.I.C.A.”や、アフリカ・バンバータ&ジャジー・ジェイによる“Ndodemnyama(Free South Africa)”といった12インチがドロップ。音楽そのものへの照射には至らないながら、精神面でのルーツ回帰をDJ側に喚起させたことの意義は大きかった。

フレデリック・ガリアーノ『Live Infinis』(F Communications)

実直にアフリカ音楽と対峙していたのは、むしろレア・グルーヴ・ムーヴメントの渦中にいるUKのDJだった。シーンの柱石、ジャジーBが根城としていたクラブの名称<アフリカン・センター>も大いに示唆的だが、彼を取り巻くUKブラックの申し子たちは埋もれたネタを次々と発掘するなかで、大きな金塊に激突。言うまでもなく、それは今日再評価の著しいフェラ・クティだ。フェラをフェラたらしめている反復拍子との近似性によって、NYのパラダイス・ガラージ周縁でもカンフル剤としての効果を発揮していた彼のアフロビートは、マスターズ・アット・ワークなどに受け継がれながら、今日のハウス・シーンとの絆を深めている。

いっぽうビートとの相関性よりも、起伏に富んだメロディーやプリミティヴな装飾音に現代の音響としての価値を見い出すフランスのフレデリック・ガリアーノは、次世代のクラブとアフリカの関係を鋭く指南。変わり種では、汎アフロ要素との化学反応をUKガラージ・セットで試みるレーベル、オラカベッサなどがある。


フレデリック・ガリアーノ『Live Infinis』(F Communications)

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