ニール・ヤング インタビュー
歳を重ねるごとに、ますますロックンロールの炎を燃やし続けるミスター・ソウル。その新作は一本の矢のように揺れるアメリカを力強く貫いた
Let's Roll!
――〈A Tribute to Heroes〉の夜(注1)はどんな気持ちだったの?
「あのショウは2、3日前に突然やることが決まったんだ。で、なにをプレイしようか考えていたところに、妻のペギが友達から“Imagine”の歌詞を引用したメールをもらった。俺にはそのメールがすごく良いサインに思えて、それで“Imagine”でいくことに決めたんだ。歌詞が覚えられなくて、とにかく練習したよ。ちゃんとできるようになるまで、10回ぐらいね。できる限りオリジナル・ヴァージョンに忠実にやったんだ。それ以上のことはなにも考えず、ただジョン・レノンのようにやろうと試みた。結果的にあの夜にはピッタリの素晴らしい曲だったと思うよ。ああいった場で歌うってことは、われわれアーティストの立場としてやるべきことのひとつだってことはあきらかだと思うし──もちろん個人としての正直な気持ちの顕れでもあるけれど─ ─ああいう事件が起こったときこそ、われわれアーティストの出番なんだ。俺たちはやるべきことをやって、本来の姿に戻っていく」
――“Let's Roll”から判断するに、あなたはユナイテッド航空93便の悲劇(注2)に深く影響されたようですね。
「TVでその事件を知り、その後、飛行機に乗ってた人々のことを聞いたんだ。そして、乗客の奥さんのひとり、リサ・ビーマーさんが、彼女の夫が機内からかけてきた最後の電話のことを話しているのを聞いた。彼女の夫は〈Let's Roll(さあ、行くぞ)〉って言っていたってね。それは彼が仕事に向かうときによく言ってた言葉だったんだ。そのエピソードはすごく感動的だった。彼ら乗客がやったこと以上の伝説も英雄的行動も存在しない。それは殉教でもなく、報酬とも関係なく、彼らが正しいことをしたってことしかわからない。ただその勇気ある反抗は英雄的で、そして結局、彼ら全員の命が犠牲になった。それ以上なにが言える? 誰かがこのことについてなにかを書いたりしなきゃいけないのはあきらかだった。ただ俺が思ったのは、〈翌週までに“Let's Roll”っていうタイトルの曲が10曲は出てくるだろう〉ってこと。だから俺はやらなかった。誰か他の奴に任せるさ、ってね。だからぜんぜんその曲が周囲から出てこなかったときは驚いたよ。そしてブッシュ大統領が最初にアフガニスタンに軍隊を送り込んだ直後のスピーチで、〈Let's Roll〉って言い始めたんだ。そんなとき、俺の頭のなかで、みんなが書くと思ったけど、結局誰も書かなかったその曲が聴こえはじめてきたんだ。だから俺はただ書いた。もう止めようがなかった」
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