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特集

パードン木村インタビュー

パードン木村とレーベル、bonjourのタッグによって誕生したリミックス・アルバム『FROZEN HAWAII』。作品全体に漂う穏やかな空気のなかにも、実は果敢なチャレンジが……。1枚の作品をめぐる制作物語をお届けしよう!!

蕎麦打ちディレッタントで、2001年に台風の千葉の海で死にかけたサーファーで、で、モトグッツイと何? 二輪四輪の……速度の、野蛮で紳士なアンプリファイアを愛する、音楽家パードン木村……彼が夢想するドーム形状の〈蕎麦カフェ〉? はともかく、彼の素晴らしい2枚のアルバム『Locals』と『OCEAN SURFER COOL DAD BUILDING SHOP SURFBOARDS』の真価をここで紹介できないのはもどかしい限り。そして……。

『FROZEN HAWAII』で木村は、リトル・クリーチャーズの青柳拓次=KAMA AINAの手による素敵なハワイアン・ロコ・ロックオン(フィールド録、音)のアルバム『bonjour hawaii』に雪を降らせた。というのは、木村がそのリミックスの仕事を買って出たからで、リミックスとはもともと原曲のお天気を変更する、そうしたものだけれど、木村のそれは群を抜いてる。ともかくも『FROZEN HAWAII』では、ハワイへの観光者としての興味、エキゾチシズム、だから勘違いと転倒とをはらんだままの移動、旅、それへの郷愁! が、21世紀のやり方に(ほかになんて言えば!?)押し上げられている。ハワイは、USBポートを取り付けられ凍りついたまま、それでも大洋の真ん中でうたた寝を決めこんでる。もちろんとことこ歩いて、東京に喰ってかかってきたりしない。

『FROZEN HAWAII』が実現したのはまた、小さなレーベル、bonjourの可能性を示している。ディレクター、小松康弘、バイヤー、上村真俊、それともちろん木村、に話を訊いた。まずは〈なぜハワイ!?〉という話題から!

小松「たまたま上村とふたりで飯食ってたときに、軽い感じで〈ハワイ〉っていうテーマが出てきたんです」

上村「〈bonjourがハワイ〉っていうのがおもしろいかなと……ウチはイマ風な街のイメージがありますから」

木村「僕は……行ったことないです、ハワイ。僕にとってハワイの音楽といえば、ハワイアンというよりカラパナかな」

上村「ハワイはプエルトリコ系の人も多くて、ハワイのものとラテンのハイブリッドみたいな音楽も昔からあるんですよね」

小松「聞いた話では、ハワイには悲しい歌がないそうです……」

上村「もともとレーベルではこういう……『FROZEN HAWAII』みたいなものが作りたかったんです。ハワイアンといえば造詣が深い青柳さん、ということで企画を持ちかけて。そしたら〈ハワイに飛んで、音を録ってくるよ〉というんで、まずは、わりとトラディショナルなハワイアンに近い『bonjour hawaii』が出来ました」

小松「リトル・クリーチャーズにもオープンな感じのレコーディングをしてるものがあったんで、青柳君の〈マイク2本持って現地に行くよ〉みたいな感じの話に〈うん、それでもいいし〉って言ってたら……そしたら本当にそれだけで行っちゃったんですね(笑)」

上村「それがおかげさまで好評を得まして、それでまあ、最初の企画のような、僕らなりの新しい感覚のハワイアンをやろうと」

小松「上村が『bonjour hawaii』のリミックスを出したいって言いだして。僕は〈無理だ!〉って言ったんですけど(笑)」

上村「というのは、録音がマイク2本で、2チャンネルですからね。ヴォーカルも演奏も分かれてないわけです。普通だったらリミックスの依頼をしても断られますよね。やっていただける方が限られてくる。2人で話し合った結果……」

小松「木村さんしかいないだろうっていうことに(笑)。ダメ元でお願いしたら〈おもしろい〉って言ってくれて。すぐに〈いいよ!〉って。実は最初、ほかの方々にも話は振ったんですけど、みなさん〈難しい……〉っていう返事で」

木村「バカはオレくらいだな(笑)。……『bonjour hawaii』を聴いてみたら、久々にこう、すべてのパートにわたってすごく〈歌っている〉音だったんです、ヴォーカルに限らず。だから、例えばその印象的なパーツだけ抜いてループしたりして、それをビートにはめていってっていうことにはしたくないと思ったんですね。でも、制約というか条件があるなかで作業できるというのはある意味チャンスだったりするから……だから『FROZEN HAWAII』は言ってみれば、小松さんや上村さんとの共同作業ともいえる。打ち合わせも常にしつつ」

小松「また、時間がなかった。冬に出したいって言って」

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年04月04日 05:00

更新: 2003年03月18日 20:50

ソース: 『bounce』 230号(2002/3/25)

文/村松 タカヒロ、ダイサク・ジョビン

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