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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2002年04月04日 05:00

更新: 2003年03月18日 20:50

ソース: 『bounce』 230号(2002/3/25)

文/若杉 実

chari chariのセカンド・アルバム『in time』が発表された。自分にフィットする素材を求め、世界中を駆けめぐる彼が生み出したもの。それは、ポップな感覚をたずさえて、これからの音楽へも大きなヒントを与えている!


chari chariこと井上薫が動き出した。大きな翼を広げ。鋭い眼光を輝かせながら。それは静かに。そして優雅に。ワシが獲物を捕らえるように。これが2回目となる空間移動。最初は99年。そのときの記憶と記録はファースト・アルバム『Spring to Summer』に封じられている。ひとりの人間の門出として、そこに響き渡るは高らかなファンファーレ。ちょうど冬眠から覚めた動物がつぎの冬までを生き抜くように、アルバムで井上は着地点を夏に設定し、そのあいだを音とささやかな哲学をもって縫い合わせていった。

しかし、ふたたび動きはじめたいまの井上にとって、その『Spring to Summer』はプロフィールのいち空間を埋めるものにすぎないが、すばらしい作品だったことは言うまでもない。その瞬間、瞬間を自分の肖像画としてトラックに描き出し、自己表現していく井上である。彼にとって<今>という時間は、過去の自分の姿を冷静に振り返るためのきっかけを与えているにすぎない。

「『Spring to Summer』では、制作期間にある程度の余裕があったぶん、各トラックのテイストにはバラつきがあったかもしれない。器材を扱うにも、いまより不馴れで粗いところもあったし」。

『Spring to Summer』は、まるで井上=chari chariとしての発育過程を写真に収めたブックレットのようだった。しかし本人も言うように、1曲ごとのテンションにはそれなりの差違があった。このことは必ずしもマイナス・ポイントにはならないが、トータル・プロデュースとしてのアルバムを望むなら、今回のメジャー移籍第1弾アルバム『in time』のほうが、より楽しめるに違いない。

「メジャーということもあって、これまでとは違い、時間の制約が厳しかった。でも、器材へのスキルも以前より上がったし、作業が滞ることもなかった」。

技術的な面はその筋の人の判断に委ねたい。だが、整合された世界観は、専門的な耳を持たなくても全体から感じ取れるだろう。制作環境を新たにし、技術的な面での余力が生まれたことで、この新作には奥行きのある表現と力強さがもたらされている。

「単純にダンス・ミュージックではないから、最初から全体的にこういうコンセプトで、というイメージはなかった。それが見えはじめたのは制作途中から。あと、自分なりのポップさを表現できればいいと。ポップというと、軽薄に感じるかもしれないけど」。

<ポップ>という永遠のキーワード

<今>という視座を持って活動するクリエイターにとって、井上も言及する<ポップ>というのは重要なキーワードだ。それは、例えばアンチ・ポップの姿勢を見せてきたロックもテクノも、あるいはミュージック・コンクレートのような反マスのものですら、<ポップ>と対峙する時間を大切にしている傾向が、今日にはある。で、肝心なのは個々のクリエイターが考えるポップの定義。井上はこう切り出す。

「ダンス・オリエンテッドなものではないことは確かなんだけど、クラブ系から出てきた音楽だとは自覚してて。そこに自分が考えるポップさというものを重ね合わせていると思う。もちろん、例えばドラムンベースとか2ステップといった規定のフォーマットに落とし込むと、どうしても終わりが見えてしまうから、それだけは避けたかった。ただ、去年いろんなパーティーでDJをやってきたことは良かったと思うし、そこでの刺激はできるだけ作品にも表わしたかった」。  思えば昨年、都内を中心としたパーティー・スケジュールに井上の名がクレジットされない週はなかった。週末はもちろん、ウィークデイのクラブに集う人々にも、彼のDJプレイはささやかな希望と夢を与えていた。それも、パーティーはワン・ジャンルに限ったものではない。ハウス、ジャズ、トリップ・ホップ、テクノやレイヴ系など。あるいはジャム・バンドと肩を並べることすらめずらしくはなかった。

「でも、いろんなパーティーに関わったおかげで、シーンによっては閉鎖的なスタンスにあるジャンルのことにも気づかされた。ワン・ジャンルで活動しているなら問題ないだろうけど、いろんな人に作品を伝えたいというボクにとっては、それは厄介なこと。特定のサークル内だけで機能する音楽を作っていくことにおもしろみなんてないだろうし。もちろん、いたずらにマスに向けてるわけじゃないけど、エゴで終わってしまったらマスターベーションになるのはあきらかだと思う」。

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