GREAT 3 インタビュー(2)
「今回ジョンが一発録りで、どんどん進めていくシチュエーション(ベーシック録りは2日間で済んだ)をくれたことで、気持ちがうまく収まった。たぶんそのやり方で俺らの魅力が光ると思ったんだろうね」(白根)。
「(東京じゃ)ぜんぜん見えなかったもの」が溢れていたと高桑は言う。
「今回感じたのは、俺たちは俺たちでしかないってこと。俺は俺だし、お前はお前、その関係の上でやってみようと。どんなにイビツなものが出来ようが、〈これが3人だ〉と言えるものを作ろうって。自分たちの心で鳴っていないものはいらないってことなんですよ」(高桑)。
その鳴りがストレートに耳に響くことが、多くの人にこのアルバムの印象として〈裸〉という一語を想起させるのだろう。各所の評ではこの表現が頻繁に用いられている。先の発言からも、意識の変化によりいったい何を脱ぎ去ったかが伝わってくるはず。しかし、そんなとき、〈斧〉というような物騒な武器が歌詞のなかに登場してくる〈“ONO”〉がなにやら興味深い。
「物質的社会においては〈裸〉というものこそが、〈最終的な武器〉じゃないかと思うことはある」と片寄は言う。「ただ、斧は凶器以外なにものでもなくって、護身用じゃないから」(片寄)という発言の裏に、いままでとの姿勢の変化を窺うのは深読みのし過ぎだろうか? それほどにこのアルバムには重いテーマが横たわっている。
「確かにね、笑っている状況じゃなかったんですよ。ほんとに嫌んなるぐらい自分たちの気持ちを信じてて、っていうか嘘つけなくてね。もし笑える要素がないとすれば……たぶん、笑えなかったんだろうね。かつてはさ、雲の上の非現実的なことに憧れて作ってたところもあったけどさ、どんどん、虚飾とかなくなっちゃってるな」(白根)。
ほとんど丸腰状態で、現状に対し立ち向かってきた彼らを見てきただけに、〈斧〉の登場にはただならぬものを感じずにはいられなかった。そしてべったりと張り付いた〈諦観〉の濃さ。「でも」と高桑が口を開く。
「逃げていくものは、それだけのものなんだよ。決して昔と比べて強くなったわけじゃない。まだまだ、もがいて見えなくなる瞬間ってあるんだけど、でもやっぱ常にフォーカスを合わせていたいっていうか。そういう気持ちは日に日に強まっている」(高桑)。
これを〈ブレイク・オン・スルー〉的サヴァイヴァル精神と言ってしまうと、いかにも陳腐だが、いや、やはり彼らにはこの言葉がよく似合うのだ。武器よさらば。
「僕は数年に渡って、いくつかのストーリーを違った角度から取り上げ続けているから、年々そのストーリーが複雑怪奇になってきている可能性はあるかもしれない」(片寄)。
ここに収められる片寄が書いた詞にはただならぬ緊張感が張り詰めている。しかしそれはただ単に暴力や死が描かれていることによるものではなく、彼が自分のボキャブラリーを超えて、新たな地平へ踏み出そうとする、逸脱していく力が働いているからだろう。彼は、そのことに対して「イエス」と答えた。『ROMANCE』に収められていた“ナツマチ”と“玉突き”のあいだにあったようなダイナミックな起伏、または落差は近作では見られなくなった。かつてはその窪みに落ち込むことが、ある種、聴き手の喜びだった。しかし、この新作での一見フラットな世界に漂う〈揺れ〉はそんな聴き手にさえも震動を与えるものとなっている。そんな彼らの変転を見るにつけ、どうしようもなく〈ロック 〉と口走ってしまう馬鹿な男。
ロックとは?
「語りはじめると考えちゃうじゃない? でも、俺には語る権利はないな」──白根賢一
「ロックは演ってるヤツの顔が見えてこないとだめだから……だから俺、ロックじゃないんですよ(笑)。十代のころ、周りにいた連中はロックだったよなぁ~」という、彼が選んだ一枚は、ファントムギフトの87年作『ファントムギフトの世界』(ミディ)
ロックとは?
「だめだ、考えてちゃ。考えているヤツはロックじゃないんだぜ。どれだけ感じられるかだよ」──高桑圭
「もう最近はこればかり聴いてる。バラードだけの世界でさ、男が無理な背伸びをしているところがたまんないっすね、無性にロックを感じてしまうんだ」という、彼が選んだ一枚は、キャロルの73年作『ファンキー・モンキー・ベイビー』(ユニバーサル)
- 前の記事: GREAT 3 インタビュー
- 次の記事: プロトゥールズは魔法の箱になりうるのか?