「渋谷系」というヴェールに隠された純粋なインディペンデントの精神
そもそもは、CDショップの店頭での出来事であった。90年代初頭、〈バンド・ブーム〉がイビツな大衆化によって終息に向かいつつあった一方で、それまでにない音楽的知識と方法論をバックボーンにした新しいアーティスト群が登場していた。そうした新しい息吹きを、ショップの店頭はいち早く反映したのである。いうなれば、〈渋谷系〉という呼称は、ジャンルやムーヴメントやカテゴリーを指し示すものではなく、〈新しいコーナーの提案〉のようなものだったのだ。ポップでキュート、的なイメージはそれこそ一部分であり、主にOlive誌の読者層に支持されたフリッパーズ・ギターの佇まい(本質はともかく)や、C.T.P.P.による一連のデザイン・ワークの印象によるものであろう。しかしながら、メディア間に情報が伝播(ちなみにその終着には「トゥナイト」が大口を開けて待っている)していくうちに伝言ゲーム的誤解も多々あったことは否めない。
諸説あるが、〈渋谷系〉の命名者はBarfout!誌編集長、山崎二郎であるとされている。同誌のセレクトこそ、まさしく〈渋谷系〉のパブリック・イメージに当てはまるものであった。が、92年夏の創刊準備号には、ポール・ウェラーを筆頭に、トラットリアやクルーエルといった新しいレーベル、オリジナル・ラヴ、United Future Organization、仲真史(現エスカレーター主宰)といった面々がフィーチャーされており、ポップさやキュートさが軸ではないことがわかるだろう。主眼は、本当の意味でのインディペンデントである、ということであった。そしてそれは、価値観を共有できない者からしてみれば〈気取った〉アティテュードにも見える面もあったかもしれない。
もとからジャンルでもムーヴメントでもない〈渋谷系〉がいつのまにやらブームとされた時点で、その呼称としての使命は終わるしかなかった。Barfout!誌のオフィスは渋谷から移転し、〈究極の渋谷系〉と呼ばれて登場したサニーデイ・サービスが完成させたファースト・アルバムは、その装丁も音も〈渋谷系〉のイメージからは遠いものであった。渋谷のCDショップの傾向を示す言葉でしかなかった〈渋谷系〉、その範疇に組み込まれていた表現者はそれぞれ〈個〉に還っていった。それだけの話だ。
〈渋谷系〉と呼ばれていた作品を紹介。
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