ダブリンで出会った四騎士(2)
エンターテイメントを極める
どうせ矛盾を抱えるのなら、その矛盾した自分たちの姿をそのまま見せてしまおう。そんな逆説的な態度で進んだのが、90年代の電脳サイバー期のU2だ。アルバムで言うと、『Achtung Baby』(91年)、『Zooropa』(93年)、『Pop』(97年)の3枚。
これらのアルバムにおけるU2は、デジタルなビートを大胆に導入し、テクノロジーと遊ぶような曲作りに勤しんでいる。派手で、ケバケバしく、下世話。『The Joshua Tree』のころとは対極のアイロニーが、それらのアルバムでは満ち溢れるようになった。プロデューサーにも、フラッドやハウィーBが起用されたりした。
とくにすごかったのが〈Zoo TV Tour〉、それに〈Pop Mart Tour〉と題された、コンサート活動での姿だ。ボノは顔に白塗りの化粧をし、頭に赤い角を立ててマクフィストなる悪魔的なキャラクターを演じる。ステージの後方に巨大なスクリーンを設置し、目もくらむような電飾バリバリの装置を用意する。空を飛ぶレモンの中から、4人のメンバーが現れる。あとにも先にも、あんな仕掛けに凝ったコンサートには、出会ったことがない。
しかし、そんなU2を、僕らは大いに楽しんだ。大きな会場でのコンサートを逆手にとり、スタジアムでしかできないコンサートをやってのける。そんなU2は、史上初めて〈スタジアム・ロック〉という言葉を肯定的に響かせたバンドに違いない。アルバムをとってみても、『Achtung Baby』は彼らのキャリアの中で最上の内容だ。ただ、『Pop』からのシングル“Discotheque”でヴィレッジ・ピープルをパロディーにした彼らは、もう、行き着くところまで行ってしまっていた。次のアルバムは、おそらく電脳サイバー路線とは反対の内容になったりするんじゃないか? そんな僕の予想は、当たらずとも遠からじ、といったところだった。2000年の最新作『All That You Can't Leave Behind』のことだ。
旅は果てしなく
『All That You Can't Leave Behind』での彼らは、ことさら政治的な面を打ち出すことはなく、ルーツ・ミュージックからのあからさまな引用を聴かせることもなく、また、皮肉や風刺に彩られた曲を作ることもやめている。その代わりに、もっとシンプルでダイレクト、音楽そのものの力でリスナーを説得させるような、潔いスタンスをとっている。もちろん、バンドの政治性や音楽的な探究心が薄らいだのではなく、そういった要素が音の間から伝わるような方向にグループがシフトしたのだ。このことは、U2がまた成熟の度合を深めている様子を伝えるものだと、僕は考えている。その時点のマイ・ブームを採り入れた曲を作るのではなく、もっとオーセンティックな楽曲作りに主眼を置く。多くの体験を経たU2だからこそ、シンプルなアルバムの中に、そんな説得力を感じるのだ。
『All That You Can't Leave Behind』のようなバンドの状態が、この先どれくらい続くのかは、まだ判らない。しかし、デビューから20年も自分探しの旅を続けてきた U2が、いまは自分なるものをしっかりと受け止めた地点にいるのは、間違いのないところだろう。今回のツアーではまだ日本公演が実現していないだけに、2002年の早いうちに、現在の彼らの充実を目撃してみたいと、僕はそう思うのだった。
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