……そして、ゲームは続いていく(2)
ヒップホップのなかのラップ
また“B-BOYイズム”がもうひとつ重要な意味を持っていたのは、それはラップを〈ヒップホップの一構成要素〉として立ち返らせたことにある。折しも98年、ヒップホップの4大要素(MC/DJ/グラフティ/ブレイキング)をここ日本で再統合する試みとして、ロック・ステディ・クルー・ジャパンのCRAZY-Aが〈BBOY PARK〉を開催していた。そして、そうした場所で、あきらかにB・ボーイ(そもそもはブレイクダンサーを指す)をターゲットに見据えた“B-BOYイズム”は極めて座りがよく、事実、その翌年の〈BBOY PARK '99〉では、代々木公園野外ステージのクライマックスにこの曲が鳴り響いたのである。“B-BOYイズム”はプロモ・クリップにも大々的にブレイカーをフィーチャーしており、ラップがヒップホップに属する一要素だということを広く世に啓蒙する役目を果たした。
また〈BBOY PARK〉と言えば、99年からMCバトルが開始されている。日本語による完全即興のフリースタイルがどれほどのレベルにあるのか。まったく未知数の状況でおこなわれた第1回だが、結果は想像を遙かに上回る高水準、かつ白熱ぶり。ここでチャンピオンとなったKICK THE CAN CREWのKREVAは、その後3大会連続優勝という偉業を成し遂げ、フリースタイル・キングの称号を手にしている。また、このMCバトルからは、 ILLMURA、MOTOY、KENSHIN(RUFF RHYMERS)といった逸材が輩出されている。
こうして〈拡大〉と〈原点回帰〉の動きを両立しつつ、理想的な成長を遂げていったかに見えた日本語ラップ・シーンだが、しかしその水面下では、激流の中からこぼれ落ち、黙殺されていた者達の声がジワジワと浸透し始めていた。
- 前の記事: ……そして、ゲームは続いていく
- 次の記事: ……そして、ゲームは続いていく(3)