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特集

経験と好奇心から生まれた独自のソウル・マナー

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2001年12月13日 22:00

更新: 2003年03月07日 18:51

ソース: 『bounce』 227号(2001/11/25)

文/高橋 道彦


“She's Gone”のカヴァーを含むタヴァレスのベスト・アルバム『The Best Of Tavares』(Capitol)

ダリル・ホールのキャリアは、65年にフィラデルフィアで結成されたテンプトーンズまで遡ることができる。モータウンに憧れていた彼らは白人4人組のヴォーカル・グループで、実際にテンプテーションズのメンバーにはとてもかわいがってもらっていた。しかも、彼はこの時期にケニー・ギャンブルとレオン・ハフのグループ、ロメオズにも参加していた。シグマ・サウンドの錚々たる面々、ノーマン・ハリスやアール・ヤング、ヴィンス・モンタナやボビー・イーライなどとセッションを重ね、いわばダリルは黎明期のフィリー・ソウルを支えるピアニストでもあったわけだ。ジョン・オーツのほうも、知る人ぞ知る名グループ、イグゼクティヴ・スーツに曲提供するなど、彼と似た境遇にいるギタリストだった。ホール&オーツの初期の名曲“She's Gone”と“Sara Smile”には、そんなキャリアが大きく滲み出ている。とくに“She's Gone”は、タヴァレスがすぐにカヴァー(74年)してブラック・チャートのNo.1に輝いたほどで、70年代らしいソウル・マナーが光る曲といえるだろう。


ブロウ・モンキーズのベスト・アルバム『Best Selection』(RCA)

ホール&オーツが全盛を迎えた80年代、ブルーアイド・ソウルといえばイギリス勢が健闘していた印象も強い。ノーザン・ソウル・シーンを背景にしてUKらしい洒落たサウンドを披露したスタイル・カウンシル、ブロウ・モンキーズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツの持ち歌“If You Don't Know Me By Now”を全米No.1にしたシンプリー・レッド、ベテランではスティーヴ・ウィンウッドやジョー・コッカーも大ヒットを生んだ。そして“Everytime You Go Away”でさえ、オリジナルのホール&オーツ・ヴァージョンより、ポール・ヤングのカヴァーのほうがフィリー・ソウル色は強いほどだ。逆に考えれば、ホール&オーツが大成功を収めたのは、70年代終盤に席巻しはじめたニューウェイヴやディスコといったサウンド、加えてシンセや機械による音作りをいち早く消化しきったところにある。言葉を代えれば、どれもニューヨークの匂いが強い音だといえ、そこがUKのブルーアイド・ソウルとは決定的に違って聞こえる点だった。




UK発ブルーアイド・ソウル・アーティストのアルバムを紹介。

ホール&オーツの2人がフィラデルフィアからニューヨークへと拠点を移したのは70年代前半のことだ。トッド・ラングレンをプロデュースに迎えた74年の『War Babies』は、すでにニューヨーク・ドールズらに刺激を受けて制作したものだとダリル・ホールは語っている。このアルバムはまったく売れなかったけれど、のちの彼らに大きなヒントを与えた試行錯誤に満ちている。そして“Rich Girl”(77年)あたりからそんなニューヨーク体験にも磨きがかかりはじめた。それが叩き上げのフィリー感覚と交わって、セルフ・プロデュースのもとでホール&オーツならではのソウル感覚として完成の域に達したのが、80年の『Voices』と81年の『Private Eyes』だったのだ。


ホール&オーツ『War Babies』(RCA)

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