多様化するポップ・ミュージックの中、孤高の存在へ(2)
混迷、そして最前線への帰還
……が、キング・オブ・ロックンロールの娘、リサ・マリー・プレスリーと電撃入籍した94年をひとつの分岐点とするかのように、彼は徐々に時代と呼応しなくなっていく。その兆候が顕著になったのが、翌95年にリリースされたベスト・アルバム+新作という構成の2枚組アルバム『History』だった。そこにあったのは、もはや誰にもコントロールすることのできない、圧倒的に暴走する個性だった。つまりは、大きくなりすぎたのだろう。個性が圧倒的なのは当然として、それを時代に合った形で世に出せるビートが用意されなかったのだ。妹ジャネットとの豪華な共演を実現させた“Scream”では、ジャム&ルイスとの初コラボレートを実現させているものの、R・ケリーによる、より普遍的なバラード“You Are Not Alone”での成果のほうが大きかったことを思うと、キングの背骨であったはずのダンス・ナンバーがいかに低調だったかがわかるだろう。ただ、ウィーザーからノトーリアスBIGまでが彼らのアイドルに賛辞を送った同年のMTVビデオ・ミュージック・アウォード授賞式では、閃光のようなパフォーマンスを披露し、大人しい授賞式をファンの集いに変える底力を見せつけた。
それでも、試行錯誤は終わらない。96年初頭にリサと離婚。年末にはデビー・ロウと再婚。彼女は息子プリンスを出産したが、その生活もやがて破綻する。そんな〈揺れ〉は音楽にも深く陰を落とし、97年にリリースされた新曲+リミックス集の『Blood On The Dance Floor』には孤独感が露わにされた。そして、それが彼の90年代の締めくくりになってしまった。
それでもなお、マイケルの立つスペースは――雲の上ではなく、ポップ・ミュージックの地面の上に――あった。リリースの面では空白のまま、世紀末が明けて2001年。ニュー・アルバム『Invincible』の情報が流れ、そこからのシングル“You Rock My World”は事前の不安を吹き飛ばすものだった。ほぼ10年ぶりに、コンテンポラリーなビートの上でハジけるマイケルを確認できたからだ。同曲を手掛けたロドニー・ジャーキンスは、ブランディーやデスティニーズ・チャイルドらとの仕事でポップ・シーンの頂点に君臨している若きヒットメイカーである。〈メロディーよりビート、グルーヴ〉なロドニーの鮮やかな手捌きは、『Dangerous』におけるテディー・ライリーのそれに匹敵するものだ。
そうでなくても、リル・ロミオとジェイ・Zがジャクソン5“I Want You Back”をサンプリングした曲でヒットを飛ばし、そのジェイ・Zに至っては、6月のイヴェント〈サマー・ジャム〉においてMJ本人をステージに呼び込んで喝采を浴びるなど、彼の降臨を受け入れる土壌はかつてなく出来上がっていた。9月7日と10日にはMJの偉業を称える〈30周年記念コンサート〉も催され、現在のシーンを支える数多くのアーティストが出演している。そして……9月11日の惨事に際してやはりマイケルは動いた。さまざまな不安が世界を横切るなか、『Invincible』はいよいよリリースされる。〈救声主〉なる見出しもどこかの紙面に躍った。大袈裟だが、それはまんざら間違いでもない、かも知れない。