あらかじめ完成されていたソウル・ミュージックの宝物(2)
恐るべき11歳のソウル・シンガー
ジャクソン5のデビューに際して、モータウンは入念な〈仕込み〉を施した。デビュー曲の“I Want You Back”も元々はグラディス・ナイト&ザ・ピップスのために用意されたものだったが、ベリー・ゴーディーJrが陣頭指揮をとりながら、曲も歌詞もジャクソン5のために書き直された。話題性作りのためにダイアナ・ロスが彼らを見出したことにして、デビュー・アルバムのタイトルも『Diana Ross Presents The Jackson 5』と銘打たれた。このアルバムは、古いディズニー映画の主題歌だった“Zip-A-Dee-Doo-Dah”で幕を開ける。スモーキー・ロビンソン作の“Who's Lovin' You”は実に彼らしい作風ながら、JBのバラードに通じるブルージーな雰囲気やドゥーワップのような味わいもある。途中で一瞬出てくるマイケルの「ハッ」という掛け声も堂に入ったものだ。かと思えば、スライ&ザ・ファミリー・ストーン“Stand!”のカヴァーもあり、古さと新しさ、幼さと大人びた表情が同居していて、そこがわくわくハラハラするようなおもしろさであり、過渡期のモータウンの姿を映し出しているともいえる。いずれにしても、大ヒット連発の余勢をかって、70年にはセカンド・アルバム『ABC』と『Third Album』、さらには『The Jackson 5 Christmas Album』もリリースされた。テーマ的に迷いがないぶん、このクリスマス・アルバムはメチャ名盤、絶対のお薦めです。
翌71年にも“Mama's Pearl”と“Never Can Say Goodbye”のビッグ・ヒットが出た。マイケルはソロ・シンガーとしてもデビューし、71年から72年にかけて“Got To Be There”と“Rockin' Robin”、そして“Ben”を大ヒットさせている。“Never Can Say Goodbye”の作者クリフトン・デイヴィスは、できたら自分で歌いたいと思うほど、この曲に思い入れをもっていた。しかし、マイケルが心を込めて歌うのを聴いて、この子に任せることにしたと言っている。確かにグロリア・ゲイナーのカヴァーと比べても、マイケルの歌は切なく心に響く。だが、それほど感情表現が豊かで繊細なマイケルだったからこそ、73年ごろになると「モータウンが自分の好きなように歌わせてくれない」と嘆くようになるのだった。
そんな状況とともにレコード・セールスも下降しはじめ、父親ジョーのモータウンに対する不信感も募っていった。マイケルの声変わりという問題もあった。74年にはハル・デイヴィスが手掛けた“Dancing Machine”の大ヒットも出たが、結局、ジャクソン5とモータウンの溝が埋まることはなかった。ゴーディーのひとり娘ヘイゼルと結婚したジャーメインをモータウンに残し、グループはエピックへと移籍、すったもんだの挙げ句にグループ名もジャクソンズと変え、心機一転、再出発することにしたのだ。