あらかじめ完成されていたソウル・ミュージックの宝物
11歳ですよ、11歳。なんてったって11歳。1958年生まれのマイケル・ジャクソンがジャクソン5のリード・ヴォーカリストとしてデビューしたのは、69年のことだった。そのころ、同い年のプリンスはといえば、初めての家出をしていた。マドンナはどうかというと、のちに彼女を初めてゲイ・クラブに連れていくクリストファー・フリンのもとでバレエを習い出していた。普通はそんな年頃である。
そうした時期のマイケルは、デビュー曲の“I Want You Back”から“ABC”“The Love You Save”“I'll Be There”までの4曲を、連続して全米ナンバー・ワンの座に送り込むグループのリード・シンガーだったのだ。大人顔負けのソウルフルな、しかし子供らしくあどけない表情も残した歌とダイナミックなダンスで、瞬く間に全米を席巻したわけだ。
インディアナ州ゲイリーで生まれ育ったジャクソン兄弟だが、長男のジャッキーは51年生まれで、次男のティトは53年、三男のジャーメインが54年、四男はマーロンで57年、そしてマイケルは繊細な五男坊として生まれ育った。しかし、マイケルはわずか1歳半で、洗濯機のキーキー鳴る音に合わせて、哺乳瓶を片手に踊っていたとも母親のキャサリンは語っている。
ジャクソン兄弟の父親であるジョーは元ミュージシャンで、上の子供たち3人の音楽的な才能を見て取って以後、彼らにリズム&ブルースを教え始めた。マイケルがグループに加わったのは5歳のときだ。それ以後、家の中にはタレント・ショウで勝ち獲ったトロフィーが溢れ返ることになった。
マイケルが7歳ごろになるとシカゴにまで遠征、8歳で彼は完全にリード・シンガーの座に収まった。マイケルが9歳のとき、ジャクソン一家はニューヨークのアメリカーナ・ホテルにジェイムズ・ブラウンに会いに行った。前座に雇ってもらうためだ。子供らしい遊びとは無縁で繰り返した猛練習の末、グループの評判はすでに大きなものになっていた。しかし、この件はJBに断られ、グループはアポロ・シアターの支配人ホニ・コールズ(かつての名ダンサー)の手配でアポロのアマチュア・ショウに出演することになった。そんなふうにサム&デイヴのデイヴ・プラッターは回想している。出演した水曜日のショウで彼らは2度のアンコールを受け、悠々と優勝を果たしている。モータウンからのデビュー前に、彼らはすでにかなりの叩き上げに成長していたのだ。
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