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カレル・アンチェル (1908~1973) 生誕111周年記念特集

カテゴリ : Classical

掲載: 2019年04月11日 00:00

更新: 2019年04月12日 10:00


【参考動画】スメタナ:連作交響詩“わが祖国”より第1曲“ヴィシェフラド”
アンチェル指揮チェコ・フィル/チェコSupraphon SU7015 (DVD)より

2019年4月11日(木)、チェコの名指揮者、カレル・アンチェル(1908.4.11~1973.7.3)が生誕111年の誕生日を迎えました。スター街道を歩んだ指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908.4.5~1989.7.16)と数日の違いで生まれたアンチェルですが、カラヤン同様の素晴らしい才能に恵まれたものの、その生涯は非常に対照的でした。1933年にドイツでナチス政権が生まれたあとドイツ音楽界において異例のスピード出世を果たしたカラヤン。一方のアンチェルも1934年、若くしてプラハ放送交響楽団の指揮者、プロデューサーに就くなど活躍しましたが、1939年のナチスによるチェコ併合により、ユダヤ人だったアンチェルは家族とともに強制収容所に送られ、彼以外の家族は殺害される、という悲劇を体験します。アンチェルは心に深い傷を負いますが、その傷を癒してくれたのは、強制収容所の中でもユダヤ人たちを励ました音楽でした。

「辛い経験の中でも、一つ大切なことを見つけました。音楽の力はとても大きく、耳を傾けるすべての人を魅了するのだとうこと、そして人生の中で本当に困難なとき、立ち向かう勇気をくれるということです。」
(「カレル・アンチェル 悲運に生きたマエストロ」高橋綾著、アルファベータブックス)

収容所から解放されたアンチェルは指揮活動に復帰し、1950年からは名門チェコ・フィルの音楽監督に就任。カラヤンも1955年にベルリン・フィルの首席指揮者&芸術監督、1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任し「ヨーロッパ楽壇の音楽総監督」の異名をとります。

1959年10月にはアンチェルはチェコ・フィルと、カラヤンはウィーン・フィルと同時に来日し、同年同月生まれの二人の名指揮者が日本で芸を競い合う、ということもありました。

ところが1968年、アンチェルが単身アメリカを演奏旅行中にいわゆる「チェコ事件」が起こり、アンチェルは戦前のトラウマから亡命の道を選びます。チェコ・フィルを辞任し、1969年からはかねて就任を要請されていたカナダのトロント交響楽団の音楽監督として活動を開始します。ところが、この時点で彼の命はあと4年しか残されていませんでした。1973年、強制収容所の中で患った肝臓病と糖尿病が悪化し、65歳でその生涯を閉じました。

ここでは近年再評価の機運が高まり、数々の音源が再発売され、日本で初の評伝も出版されたアンチェルが残したスタジオ録音、ライヴ録音から代表的なものをご紹介し、彼の波乱の生涯と偉大な芸術を振り返ります。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)


カレル・アンチェル年譜
1908年 (0歳) 4月11日(土)、南ボヘミアの小村、トゥチャピ(首都プラハからは南に80Km)でユダヤ系の蒸留業を営む家庭に生まれる。
1914年 (6歳) 小学校に入学。ヴァイオリンを学び始める。
1921年(13歳) プラハのギムナジウムに入学。
1926年(18歳) プラハ音楽院に入学。アロイス・ハーバに作曲を、ヴァーツラフ・ターリヒに指揮を学ぶ。
1930年(22歳) 6月24日、チェコ・フィルを相手に卒業作品「シンフォニエッタ」とベートーヴェンの「田園」第1楽章を指揮する。
1931年(23歳) 5月17日、ミュンヘンでヘルマン・シェルヘンのアシスタントとしてハーバの歌劇「母」の世界初演を行う。その後、プラハ解放劇場の指揮者兼ヴァイオリニストとなる。
1934年(26歳) プラハ放送交響楽団の指揮者兼プロデューサーとなる。
1939年(31歳) ナチス・ドイツのチェコ占領によりプラハ放送交響楽団を解雇される。
1942年(34歳) テレジーン強制収容所に送られる。
1944年(36歳) アウシュヴィッツを経てフリードラント強制収容所へ送られる。
1945年(37歳) 赤軍により強制収容所より解放される。
1946年(38歳) 恩師ハーバの計らいでプラハの「5月5日劇場」の指揮者となる。
1947年(39歳) 9月1日、プラハ放送交響楽団の首席指揮者に任命される。
1950年(42歳) 10月20日、チェコ・フィルの音楽監督に任命される。
1954年(46歳) チェコ・フィルとともに東ドイツ・ツアー。
1956年(48歳) チェコ・フィルとともにウィーン楽友協会で演奏会。
1959年(51歳) チェコ・フィルとともにニュージーランド、オーストラリア、日本、中国、インド、ソ連を演奏旅行。
1962年(54歳) ベルリン・フィルへ客演(1966年まで13回)。
1966年(58歳) アムステルダム・コンセルトヘボウ管へ客演(1970年まで15回)。
1967年(59歳) トロント交響楽団より音楽監督就任を要請される。
1968年(60歳) 8月21日、ソ連のプラハ侵攻により、カナダへの亡命を決意。
1969年(61歳) 5月24&28日、プラハの春音楽祭でチェコ・フィルと最後の演奏を行う。10月14日、トロント交響楽団との初演奏会。
1973年(65歳) 7月3日、収容所で患った肝臓病と糖尿病のため死去。

チェコ・フィルとのステレオ・セッション録音


【参考音源】バルトーク:管弦楽のための協奏曲~フィナーレ
アンチェル指揮チェコ・フィル(1963年録音/2003年リマスター)

アンチェル&チェコ・フィルの名コンビの活動も10年を超え、アンチェルの音楽的要求に対し、細部まで精巧で、かつ息の合った瑞々しいアンサンブルで応えるチェコ・フィルの姿が鮮明なアナログ・ステレオ録音により捉えられています。タワーレコードでは、アンチェル生誕110年の2018年より本国チェコのスプラフォン社が所蔵しているオリジナルのアナログ・マスターテープから、全くの新規で、ダイレクトにDSD化を行った音源を使用したSACDハイブリッド盤のリリースを開始しました。昨今のデジタル化(A/D変換)の技術進歩は著しく、より高度かつ緻密にマスター音源を取り出せるようになりました。今回の最新DSD化により、上記【参考音源】以上の高音質でこれらの名演をお楽しみいただけます。2019年4月10日の第4回発売まで、現在12タイトルを発売中です。

 

 

 

チェコ・フィルとのモノラル録音

1950年にチェコ・フィルの音楽監督に就任したアンチェルは、楽員の世代交代をはかり、新たにパートリーダーを設定しパート練習を徹底するなど、チェコ・フィルの体質改革に取り組みます。その時代の意欲的な演奏がこれらのモノラル録音に捉えられています。旧ソ連の巨匠、リヒテルやオイストラフとの共演録音も聴くことができます。

 

チェコ・フィルとのライヴ録音

1959年の唯一度となった来日公演のライヴ録音、1963年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音、そして1966年と1968年の地元プラハでのライヴ映像をご紹介いたします。

 

ウィーン交響楽団、ベルリン・フィルとの録音

アンチェルは単身でウィーンやベルリンに客演し、フィリップスへウィーン交響楽団との複数のセッション録音を、DGへベルリン・フィルと1曲のみセッション録音を行いました。前者はチェコと弦楽奏法を同じくするウィーンの楽団との共演で、アンチェルの音楽性との相性の良さを感じさせる名演揃いです。後者はウィーンの名ヴァイオリニスト、シュナイダーハンとの共演でストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲だけですが、これが現代音楽を得意としたアンチェルならではの冴えた名演で、シュナイダーハン、ベルリン・フィルも最高の出来栄えです。目立たないCDですが、ご興味のある方は、ぜひこの機会にお求めください。


【参考音源】ドヴォルザーク:スラヴ舞曲Op.46 - No.6
アンチェル指揮ウィーン交響楽団

 

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ録音

オランダの名門コンセルトヘボウ管弦楽団には戦前の1933年に客演し、現代音楽を振って成功をおさめ、音楽監督のウィレム・メンゲルベルクとも親交を結びました。戦後、アンチェルが世界的な名声を博すると、1966年に33年ぶりの客演が実現。1970年まで15回も共演を重ねることとなりました。残されたライヴ録音も両者の結びつきの深さを感じさせる名演が揃っています。

 

バーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音

2018年に初登場した1967年5月の貴重なステレオ録音。アンチェルにとってスークのアスラエル交響曲は重要なレパートリーで、チェコ・フィルとの最後の演奏会でも指揮しましたが、これまでにクリーヴランド管弦楽団との私的な録音があったのみで、この演奏が唯一の「アスラエル」公式録音となります。SWR所蔵のオリジナル・テープからデジタル・リマスタリングを行っています。

 

トロント交響楽団との録音

アンチェルは1967年にカナダのトロント交響楽団からの音楽監督就任の要請を受け、1969/70年シーズンからの就任を受諾。その間の1968年にプラハ事件が起きたことから、そのままカナダへ亡命することとなります。音楽監督就任後の初演奏は1969年10月14日。1973年5月17日の生涯最後の演奏会まで、楽団の育成に心血を注ぎ、楽団員からも市民からも愛される存在として、その芸術の最後の輝きを示しました。3点目のグールドのDVDには、ミケランジェリのキャンセルにより、ピアニストをグールドに代えて録画したベートーヴェンの“皇帝”が収録されています。アンチェルを招いたトロント交響楽団のマネージャーは、実はグールドを見出した人物でもありました。深夜に電話を受けたグールドは、数時間後に行われる朝の収録をOKしました。ハプニングが生んだ名映像と言えるでしょう。


【参考動画】スメタナ“モルダウ”より/アンチェル指揮トロント交響楽団