フォーマット |
書籍 |
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構成数 |
1 |
国内/輸入 |
国内 |
パッケージ仕様 |
- |
発売日 |
2017年03月25日 |
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規格品番 |
- |
レーベル |
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ISBN |
9784845915682 |
版型 |
A5 |
ページ数 |
440 |
音楽家・大友良英の<演奏>と<展示>のすべて。
音楽って? 美術って? そのあいだって?
それが音楽であるとか美術であるとか、そんなもんは本当はどうでもいいと思っているんです。でも、「そもそもそれって何なの?」ってところから考えてみると、今までゴミクズだと思っていたものが輝きだすことだってあって、あ、輝かなくてもゴミクズのままでも充分素敵だと思えることもあって、そんなことをやっているちょっと風変わりだけど素敵な人たちと話していく中で思ったのは、名付けようもないことをやるってことは、自分の手で未来を見つけることなんじゃないかってことなんです。この本にはそんなことが書いてあります。(大友良英)
構成数 | 1枚
まえがき
第一部 音楽と美術とあいだ
第1章 音と空間
展覧会「音楽と美術のあいだ」/音の状況をつくる/即興演奏について─展示作品《quartets》を題材に/「場をつくる」ことと「コンポジション」はイコールである/身体性と人の痕跡/形式に則らずにゼロから立ち上げていく/単一の軸では考えず、「マルチ」な軸を意識する/音楽を生成する仕方が思想そのものである/素人と音楽/アンサンブルを組むと音楽は生き生きしてくる
第2章 音楽と装置
プレーヤー、レコーダー、自作楽器/「即興音楽の極北」?デレク・ベイリーという体験/身体性とエレクトリック・ギター/高柳昌行とギター/何でも音楽であり、何でも音楽にはならない/身体の痕跡という幽霊を聴く/「透明なテクノロジー」を露わにする/「何のため」でも「役に立つ」でもないものの面白さ
第3章 展示と演奏
インスタレーションのはじまり/作品を「展示」すること/ターンテーブルの再発見/たくさんの人と一緒にやる「アンサンブル」という手法/振り切ることと、開くこと/展示をつくりあげていくこと/展示=演奏というメタファー/壊れるものだから、つくり続けられる/アンサンブルを共振させる
第4章 アンサンブルの彼方に
「祭り」の場をつくる/「隣のおばちゃん」にひらくことを考える/言葉にできないものをどう体感できるか、させるか/「強い言葉」に頼らない抑止力のあり方を考える/無力な音を響かせていく
第二部 音楽と美術とあいだの対話
対話1 毛利悠子×大友良英
街の「グルーヴ」を体験し、
それをどうやって美術作品にすればいいのかを考えている。(毛利)
対話2 刀根康尚×大友良英
音の知覚の場合、僕はなるべく、原理的に、未来把持と過去把持が成り立たないような
音が出るのが理想的なんです。つまり、知覚を否定すること。(刀根)
対話3 梅田哲也×大友良英
その空間に入った瞬間に音楽的に「鳴ってる」というか。
ものの「配置」も全部必然のような感じがするんです。(梅田)
対話4 堀尾寛太×大友良英
見た目とか出る音とか、その質にこだわるよりは、
合理性に回収できる動作の仕組みを考えるのが面白い。(堀尾)
対話5 Sachiko M×大友良英
考え合ったり見つめ合ったり話し合ったりする現場をつくってみる。
それは即興的作曲に近いかもしれない。(Sachiko M)
対話6 鈴木昭男×大友良英
「さらさらちょろちょろ」と流れる小川の中の石をひとつよけるだけで流れが変わって反響音も変わる。棒切れを差し込んでやると、流体波で音響がちょっと高まる。これも一種の演奏方法かな。(鈴木)
特別掲載 「美術(展示)と音楽(公演)のあいだ」 後々田寿徳
あとがき
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1.[書籍]
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『「音楽」とか「美術」とかのカテゴライズなんて、本当はどうでもいい』という表現が核と成り、この本の全てを表している。音楽という聴覚的表現と、美術という視覚的表現が織り合わさることは単なる足し算ではなく相乗効果的に表現の幅を広げていき、それは即ちアートとしての可能性や奥行きを格段にあげているのかもしれない。前半に大友良英自身の活動を通して得た芸術観と、後半に6人の最先端のアーティストとの対話を収録し、音楽・美術の姿が浮き彫りにする。アーティストとはかくも様々な事を考えている、それをじっくり読み解きたい。
intoxicate (C)板谷祐輝タワーレコード (vol.127(2017年4月10日発行号)掲載)
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