「鬼才」の「才」、「色艶」の「色」を兼ね備えたレイ・チェン

台湾系オーストラリア人(台北生まれ)ヴァイオリニストのレイ・チェンがベルギー・ブリュッセルの難関、エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したのは2009年。20歳の快挙で、同年の出場者の中の最年少だった。筆者はその直後、日本の契約事務所コンサートイマジンから、チャイコフスキーの協奏曲を弾いた録音を提供され、一気に惹きつけられた。コンクール覇者の高度な技巧水準はもちろんのこと、演奏に独特の熱気と華があり、アジア系アイドル俳優を思わせる風貌にも「売れそうだ」との手応えが十分だった。
4歳のとき鈴木メソード(才能教育研究会)でヴァイオリンを始め、9歳で初めて日本を訪れ、長野冬季五輪の開幕祝賀コンサートで演奏したというから、日本との縁には浅からぬものがある。エリザベート優勝後は日本音楽財団からも、1708年製ストラディヴァリウスの名器〈ハギンズ〉を3年間貸与されている。米国デビューは09年12月の首都ワシントン、ケネディー・センターだったが、その1ヶ月後には日本を再び訪れた。筆者は2010年1月26日、東京・大手町の日経ホール『第372回 日経ミューズサロン』でコンポーザー&ピアニストの加藤昌則とのデュオを聴いた。
当日の曲目はソニーのデビュー盤『ヴィルトゥオーゾ』と重なり、タルティーニ(クライスラー編曲)の《ヴァイオリン・ソナタ“悪魔のトリル”》で始まったが、ブラームスの《ヴァイオリン・ソナタ第2番》もあった。後半、J・S・バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番》からの《シャコンヌ》もCDと共通する。ロマン派の時代に古典を志向した作曲家のブラームスではまだ、ピアニストとともにソロ(独奏)とオブリガート(伴奏)を頻繁に弾き分けるだけの様式感が備わっていないように思われた。
ところがブラームス以上に厳格なバッハの《シャコンヌ》において、レイ・チェンの未来が必ずしもテクニシャンの方向にだけ開いているわけではないことを知った。もちろん、アーティキュレーション(音楽の句読点)を短めにとり、フレージングや強弱法にもピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の奏法を採り入れるといった類の演奏ではないが、舞曲に由来する自然なリズム、「バッハが最初の妻へのレクイエムとして書いたのではないか?」との学説を彷彿とさせる情念などを再現する力量は、とても20歳とは思えない。誰の演奏を思い出したかと言えば、イ・ムジチのコンサートマスターだったフェリックス・アーヨが旧フィリップスに録音したバッハの《無伴奏》全曲。たっぷり艶美な音色で技の切れを巧みに覆い、ただ音楽を感じさせる。CDで正面から挑んだフランクのソナタにも〈才色兼備〉の魅力があるし、ピアニスト(ここではノリン・ポレーラ)との掛け合いの巧みさも増した。今年6月の日本公演ではいよいよ、バッハの《無伴奏》全曲に挑む。