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Simon Rattle

公開
2010/09/24   23:08
更新
2010/09/24   23:18
ソース
intoxicate vol.87 (2010年8月20日発行)
テキスト
text : 山野雄大

俊才の驀進から、精緻やわらかい現在まで〜サー・サイモン・ラトルの30年

名実ともにEMIレーベルの〈顔〉なのだ。なにしろ今年の11月で専属契約を結んでから30周年、録音作品は250を越えるというから凄い。30年前…サイモン青年(25歳)はバーミンガム市交響楽団に首席指揮者として着任した。その俊才をかわれて多くの楽団からオファーを受けるも、英国の地味なオーケストラを選んだことは結果として吉と出るのだが、指揮者としての手腕を磨きながら、新進気鋭ならではの相当にとんがった演目も含めて着々と録音開始。楽団もサイモン青年の覇気と才知と共に広く注目を集める。

1990年からは音楽監督として楽団を世界レベルに磨き上げたラトルは、94年にナイトの称号を受け(まだ39歳で、だ)〈サー・サイモン〉となるが、98年に楽団を退いた次は…なんとオーケストラ界の最高峰ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だったから驚いた。2002年に首席指揮者兼芸術監督に着任…名門楽団にも新たな挑戦を煽りつつ現在に至る、というわけだ。  この常識外れの驀進も、思えばデビュー期から自身の芸術を(ながい坂をのぼるように)たゆまず鍛えてきた成果であるだろう。ラトルが数々残してきた斬れ味よく豊かな録音群を並べて聴き直すに、棚から降ってくるぼた餅はなく、才ある者は日々着実に美味い餅をつくのだと知れる。英国人の話に餅もないものだが。

さて、天下のベルリン・フィルとも堂々たる録音を重ねてきたラトル、同コンビの最新盤はチャイコフスキーのバレエ音楽《くるみ割り人形》全曲だ。

実はベルリン・フィル、意外なことに《くるみ》全曲録音はかつてビシュコフが1986年に残したフィリップス盤しかない(しかし名盤だ!)。楽団にとって久々の全曲新録音は、昨年大晦日のジルベスター・コンサートに向けて並行するようにおこなわれた。面白いことに、前半の第1幕がセッション録音で、後半の第2幕は(ジルヴェスターの演目でもあったので)ライヴ録音をベースとしている。

そもそも《くるみ割り人形》というバレエ、前半の第1幕はクリスマスの情景から少女クララが誘いこまれるファンタジーの世界へと、音楽的にも緻密壮大な展開をみせる。対して後半の第2幕は、クララと王子が訪れたお菓子の国を舞台に、色彩豊かで華やかな歓迎の踊りを軸とする。…音楽的にも色彩が少々異なっていて、前半は音響設計に相当神経をつかう場面も多く、後半は舞踊的な昂揚感がとても大事。全曲の一貫性を保つのも難しいのだが、そこは天下無双の楽団、うまいものだ。  響きのこくをしっかり生みながら、歌い回しやバランスの細かいところを柔らかく仕上げてゆく、バレエ的表現に囚われないその音づくりは陰翳豊か。組曲でも有名な〈ディヴェルティスマン〉の数々で楽団がみせる真摯と遊び心の高度な融和も心くすぐるし、〈パ・ド・ドゥ〉の美しいイントラーダ(主演ダンサーが最も輝く見せ場、音楽も最高潮!)など、ラトルのこまやかな音楽的演出と甘やかに絡みあいながら広々と響く〈歌〉もいい。

〈歌〉といえばもうひとつ。第1幕最終曲《雪片のワルツ》のみ歌詞のない合唱が必要だが、これを音程の定まりにくい少年合唱で録るか、音程は綺麗だが無垢な響きはつくりにくい大人の女声合唱で録るかは《くるみ》全曲録音のアキレス腱だ。…しかし今回のラトル盤、7歳から14歳までの少年たちによる人気ヴォーカル・ユニット〈リベラ〉による録音を重ねて仕上げたのも吉とでた。アンサンブルの難しいこの曲でも精緻を磨くラトルのアプローチとよく融け、澄んで響く。

今回の全曲盤には特典DVD付き、ラトルのインタビュー映像(バレエ愛好家も注目すべき話題が多い)に、ジルヴェスターでの《くるみ》映像抜粋(コンサートマスターは樫本大進)が観られるなどお得だが、〈ラトル&ベルリン・フィルの現在〉も丁寧に踏まえた木幡一誠氏の文章をはじめライナーノートの充実も嬉しい。

本盤を聴かれたら、やはり子供心を軸に据えた傑作舞台作品、ラトル&ベルリン・フィルの『ラヴェル:子供と魔法』も聴いていただきたいものだが、ラトルの旧録音から選りすぐりで高音質CD(HQCD)で再発売されるなど「ラトル・キャンペーン」が展開されるのも朗報。マーラーやストラヴィンスキーなど人気作はもちろん、バーミンガム市響とのシマノフスキ、ロスアンジェルス・フィルとのラフマニノフ、ジャズ・アルバム…と、精緻と才気の奔流をあらためて聴き直す好機だ。まだまだ名盤も多いが…今回再発された盤はいずれもラトルという才能が作品にみせてくれる新たな視野も快い演奏たち。未聴のかたも一度お聴きいただきたい。

時期も重なったところでもうひとつご紹介しておくと、世界の人気指揮者と名オーケストラのコンサートを映画館の大スクリーンと5.1サラウンド音響で愉しむ『シネ響/マエストロ6』でも、8月中旬にかけてラトル&ベルリン・フィルのジルベスター・コンサートが上映されたばかり。今後もアバド、ムーティ…と映画館でのコンサート上映が続くあたり、クラシック音楽の愉しみかたも多彩になってきたものだ。さて、30年後はどうなっているだろう?