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Brad Mehldau『ハイウェイ・ライダー』

公開
2010/05/20   21:24
更新
2010/07/09   22:02
ソース
intoxicate vol.85 (2010年4月20日発行)
テキスト
text : 高見一樹

アメリカのような、何か。
────『ラーゴ』に続く、ジョン・ブライオン、プロデュース『ハイウェイ・ライダー』

ブラッド・メルドーの音楽の印象が変わったのは、確かすみだトリフォニーホールでのソロ・コンサートを聴いた時だった。ジャズを演奏するジャズ・ピアニストではもはやない、そんなアプローチの連続に驚いた。今でも、あのときメルドーが提示するサウンドへの違和感がどんどん増し、長年使い込んだジャズ耳の堅苦しさに自分がまいってしまったことを思い出す。いったいあのとき、何を聴いたのだろうという不安はその後もずっと続いた。キース・ジャレットや、ジョージ・ウィンストンの中にあるシンプルなピアノ・サウンドへの共感だろうとイージーにはくくってしまえない、何かが確かにあった。

メルドーは、ピアノ・トリオ、ソロ、ヴォーカリスト、パット・メセニーやチャーリー・ヘイデンといったミュージシャンとの共演盤などを大量にリリースしている。もっともアクティブなジャズ・ミュージシャンのひとりであり、もっとも有能なジャズ・ピアニストのひとりである。数年前に話題となったジョン・ブライオンというプロデューサー/アーティストと共演して制作した『ラーゴ』(2002)の出現までは、彼は明らかにジャズ・ミュージシャンであり、ジャズを演奏しているピアニストだった。

『ラーゴ』は、その編成の特殊さ、アイデアの奇抜さなどが、大変な話題となった。しかし、アルバムのリリースの後しばらく、『ラーゴ』の音楽は、奇妙なことに、今回の新作『ハイウェイ・ライダー』のリリースまで留め置かれてしまっていた。プロジェクトの特殊性にメルドー自身がその後何を持続させるべきなのか迷ったのではないだろうか。『ラーゴ』は、メルドーにとって、ジョン・ブライオンというプロデューサーが仕掛けたジャズからそれていくためのブラックボックスのようなものだったのかもしれない。ジョン・ブライオンにしてみれば、『ラーゴ』こそ、ジャズで育ってきたジャズ・ミュージシャンが、いま演奏すべきジャズそのもの、だったのかもしれないのだが。

ポール・トーマス・アンダーソンの映画『マグノリア』、『パンチ・ドランク・ラブ』などの映画音楽のオーケストレーションに代表されるジョン・ブライオンの音楽性のボトムにあるのは、意外にもアーリー・ジャズだった。本誌に以前掲載されたブライオンへのインタヴューによれば、彼にとってのジャズは、チャーリー・パーカー以前のジャズ、ルイ・アームストロング、ガーシュウィン、ジェリー・ロール・モートン、ファッツ・ウォーラーといった、ニューヨークにたどり着く前のジャズだ。ドビュッシーやラヴェル、そしてストラヴィンスキーが聴いたジャズであり、それはアメリカの作曲家、アーロン・コープランドのインスピレーションを刺激したジャズだった。

今回の新作『ハイウェイ・ライダー』のサウンドは、前回と異なって、メルドー自身が入念に準備したスコアの響きだ。このアルバムに収録された作品のすべてはメルドーの作曲とオーケストレーションによるもので、ブラームスといったクラシックの作曲家の作品を研究したと語っている。聴こえてくるのはジョン・ブライオン風の響きなのだが。ピアノ・トリオ、さらにジョシュア・レッドマンのサックスを加えたカルテットを想定し、弦を中心にオーケストレーションしている。基本となる楽曲の、ジャズでは聴いたことのないシンプルなサウンド、およそジャズらしくないサウンドの出自は、メルドー自身のアルバムでは、ピアノ・ソロによる『エレゲイア・サイクル』あたりにまで遡れるだろう。不思議なあのピアノ・ミュージックの意味が、いまようやく腑に落ちてきた。メルドーの『ラーゴ』に続く本作の出現によって、ジャズは、ようやくジャズらしさから解放されたのだと思う。そして本来とるべき彼らの音楽の方向性がついに見えてきたのではないだろうか。大げさにいえば、ジョンとメルドーの出会いがもたらしたのは、アメリカの音楽というパースペクティブの更新だったのかもしれない。ポストジャズ(本誌P.04 三輪眞弘『パット・メセニー:オーケストリオン』参照)と呼べるような音楽のセリーが、いろんな方向に走りはじめた感がしてきた。

アルバムのジャケット写真や、《Always Departing》、《Always Returning》といった曲のタイトルから、ロードムービー風のコンセプトが見て取れなくもない。もしかしたらニューヨークでバップへと変化したジャズの原風景を探し求める旅を、メルドーたちはイメージしたのかもしれない。ウォーカー・エバンス、あるいはロバート・フランク、『パリ・テキサス』を撮ったヴィム・ヴェンダースの映像の、アメリカになる、アメリカの風景のセリーに並行する音楽として、ジョン・ブライオンとブラッド・メルドーの、ジャズになる、アメリカの音楽がいまここにあるのだと、考えてみている。