こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

NEWS & COLUMN ニュース/記事

第184回 ─ デバージ・ファミリーの栄光と没落、そして……

連載
360°
公開
2009/08/26   18:00
更新
2009/08/26   18:09
ソース
『bounce』 313号(2009/8/25)
テキスト
文/出嶌 孝次


  恐らく、デバージの歌や曲をまったく聴いたことがないという人はそういないと思う。いまもサンプリングやカヴァーを通じて知らずに接している例も多いだろう。一般的な知名度では例えばジャクソン兄弟にまったく及ばないとはいえ、メンバー個々の能力の高さは残された音源にあきらかだ。そんな実力に相反してデバージ兄弟の全盛期はあまりにも短かったが、その輝きは何十年もシーンを照らしてなお足りないほど眩しいものである。

 デバージの歴史は、53年にミシガン州グランドラピッズにてフランス系白人の父親とアフリカ系の母親が結婚したことに始まる。目に見えて差別が激しかっただろう時代には珍しいカップルだったはずだが、ふたりの間には10人(13人説あり)の子供たちが生まれた。けっこう酷い父親で母や子供たちは貧困を強いられたそうだが、詳細は省略する(両親は70年代に離婚)。やがて、長兄ボビーがバリー・ホワイトのバック・バンド=ホワイト・ヒートに加入した70年代半ば、兄弟に扉は開かれた。

 ボビーは弟のトミーと合流してスウィッチというグループを結成し、これがジャーメイン・ジャクソンに気に入られてモータウンからデビューを果たしている(なお、この時期にボビーはジャクソン家のラトーヤと交際していたという噂もある)。スウィッチの活動が軌道に乗って数年、今度は長女のバニー(10人のいちばん上)と三男ランディ、四男マーク、そして五男エルドラの4人がモータウンに注目され、デバージズとしてデビューを果たす。

 デバージズの4人はデビュー前から演奏や曲作りに習熟しており、デビュー作の『DeBarges』(81年)もリード・シンガーのエルドラ=エルとバニーを中心とする自作自演スタイルが採られた。同作が不振に終わると、彼らは六男のジェイムズを加えてグループ名をデバージに改称し、翌年の『All This Love』から名曲“I Like It”をヒットさせる。同曲でエル独特の柔和なコード進行と煌めくような美メロを耳にしたバート・バカラックが、驚愕して連絡を取ってきたという話も有名だろう。こうしてデバージはレーベル側が望む〈80年代版ジャクソンズ〉への階段を駆け上がっていく。が、音楽的な主導権を握るエルのアイドル人気が膨らむにつれ、今度はエルに〈次のマイケル・ジャクソン〉を望む状況が生まれてきたのだった。

 そもそも彼らはセルフ・コンテインドな魅力で輝いたグループである。エルはもちろん、“Time Will Reveal”や“A Dream”を書いたバニー、作品ごとに自作曲を歌ったジェイムズ、目立たないランディとマークも端々で作曲やアレンジに貢献し、個々の積み重ねから流麗な世界を組み立てていたのだ。が、5人での最終作となった『Rhythm Of The Night』(85年)では外部作家/演奏陣を動員して性急なポップ・アピールが図られる。無名時代のダイアン・ウォーレンが書いた表題曲は初の全米TOP3入りを果たすも、エル以外の姿が音から見えないアルバムはグループの崩壊を決定付けた。なお、同年にはジェイムズとジャネット・ジャクソンが駆け落ち同然で結婚し、すぐに離婚している。

 86年、“Who's Johnny”でエルは華々しくソロ・デビュー。バニーもソロに転向してアルバムを発表。さらに七男のチコもモータウンからデビュー。デバージ本隊はモータウンを去り、残った3人に長兄ボビーを加えた4人で『Bad Boys』(87年)を発表……と各々の活動がファミリーの勢力を広げていく、はずだった。88年にボビーとチコとドラッグ所持で逮捕され、グループは消滅。しかも、バニーもドラッグ中毒を明かして引退し、エルは女性ファンから性的暴行で訴えられる始末。ファミリーは一転してダーティーなイメージにまみれ、わずか数年で過去の存在となってしまった。

 地元ミシガンに戻ったバニーが末弟のダリルらとゴスペルに光を見い出す一方、その才を惜しまれたエルは90年代もメジャー・シーンに踏み止まり、アンダーレイテッドな大傑作『Heart, Mind & Soul』(94年)などを残している。そんななか、別掲した面々がサンプリングやカヴァーを繰り返すことで、デバージの楽曲もふたたび脚光を浴びるようになっていくのだが、肝心のエルは95年に長兄ボビーがエイズの合併症で亡くなると、強いショックを受けてドラッグ依存を深めていくのだった……。以降の彼はもう10年以上も逮捕と治療を繰り返し、多くのラヴコールを受けながらも音楽活動は断続的になってしまっている。ちなみにランディもドラッグ禍で苦しんでいるそうで、書いていても息苦しくなるほどの状況だ。

 が、ファミリーはいまも動いている。出所してきたチコはニュー・クラシック・ソウルの流れに乗って完全に蘇生したし、10人兄弟の末弟にあたるダリル“ヤング”デバージも2005年にようやくデビューし、兄譲りの音楽性を披露してくれた。LAで活動を続けるジェイムズは多くのラッパーたちとのコラボを展開中だ。そして、彼の娘であるクリスティニアもメジャー・デビューを果たしたばかり。で、もはや定着したとも言えるカヴァー&サンプリング人気の高さを考えれば……栄光を失った天才たちにもまだ〈次〉はあると思いたい。

▼エル・デバージの参加作品を一部紹介。