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第140回 ─ 音楽に対する素朴な思いをカート・コバーンにまで届けたヴァセリンズ

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2009/06/10   16:00
更新
2009/06/10   17:58
テキスト
文/久保 憲司

 「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、まさかの再結成を遂げ、〈SUMMER SONIC 09〉への出演も決まった伝説のアノラック・バンド、ヴァセリンズについて。

  ヴァセリンズを聴くとなぜだか胸が熱くなって、涙がこみ上げてくる。パステルズを聴いても、初期のプライマル・スクリームを聴いても、そんなことにはならないんだけど、何でヴァセリンズだとそうなるのか、ずっとわからなかった。だけど、カート・コバーンがヴァセリンズの曲をカヴァーしたのを聴いた時、その理由がわかった。結局それは、ヴァセリンズの音楽に対する素朴な思いによるものなんだという気がする。これだけピュアに音楽に向かった人たちがいただろうか。僕はヴァセリンズのほかには、バカ貝のことを真剣に愛を込めて歌った少年ナイフしか知らない。

大阪には少年ナイフの前にも、京阪牛乳の歌を歌うほぶらきんみたいなバンドがいたから、少年ナイフのことは何となく理解できるんだけど、ヴァセリンズのあの感じは本当に突然だったから衝撃だった。

しかも、バンド名がヴァセリンズって。僕にとってヴァセリンって、ゲイの人たちがアナル・セックスをする時に使うやつってイメージなんだよな。僕の友達によると、ヴァセリンズの歌は全部いやらしい歌だそうだ。そのこと自体は、モノクローム・セットだって全部そういう歌だし、「まっ、いいんじゃない」という感じだったんだけど、「ヴァセリンってどうよ?」とは思わずにいられなかった。

  それに、ヴァセリンズをリリースしたレーベル、53rd & 3rdは、そのレーベル名をラモーンズの名曲から取っているんだけど、その曲ってディー・ディー・ラモーンが男娼をしていた頃の歌で、歌詞がすごいのだ。男娼が道で立っているんだけど、全然男が引っ掛からない。イライラしていると、神からメッセージが降りてきて〈通りで歩いている男をナイフで刺せ〉という。それで男娼は、自分が男だと証明するために実行する――というすごい歌なのだ。映画のワンシーンのようであり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“I'm Waiting For The Man”を、より一歩前進させたような歌なのだ。

  今回のベスト盤『Enter The Vaselines』のライナーでは、ヴァセリンズのユージン・ケリーとフランシス・マッキーが、〈ヴァセリンズ〉と名付けた理由をスティーヴン・パステルに語ってくれている。この対談を読むためだけに、このCDを買う価値あり。なぜヴァセリンズなのかというと、フランシスが唇が乾燥するのを防止するためにヴァセリンをよく塗っていたからだそうだ。懐かしいな。もういまは誰もヴァセリンなんか口に塗らないだろうけど、僕が初めてイギリスに行った頃、よく女の子がカバンから大きなヴァセリンを出して、口に塗っていたのを覚えている。外国には携帯サイズがないのか?と思いながらも、可愛いなと見ていた。いまだったらフランシスも、オリジンズみたいないいブランドのリップを塗っているんだろうけど。青春だったな。 

彼らのセックスの歌なんかも、いま思うとたぶんフェミニズムだったんだろうなと思う。すごく女性的な感じがする。そういう部分がアメリカのオリンピアのシーンにまで広がっていったのだと思うし、カート・コバーンにまで届いたのだ。

  ライナーでは、ヴァセリンズの解散後、フランシスはストーン・ローゼズみたいなインディー・ダンスやハウスの方に行った、と語っていて、僕と同じだなと思って嬉しかった。そうそう、ショップ・アシスタンツや、クリエイションの関係者たちが〈スピード〉というパーティーを始めたのもこの頃だった。インディーの子たちが突然エクスタシーにハマりだして、おもしろいなと僕は見ていた。それが、すぐその後には、クリエイションのオフィスで毎週パーティーするようなどんちゃん騒ぎになっていく。

そういうシーンがあったのだ。僕もちょっとだけその一員だった。いまから思うと夢のような世界だった気がする。そんななかにヴァセリンズはいたのだ。そして、カート・コバーンに評価されるまで忘れられていたのだ。

  でもいま聴くと、こんなバンドをなぜ忘れていたんだろうと思う。僕が書いてきたようなこと以前に、すごくガレージな部分があるのも彼らの魅力だ。しかも、普通のガレージ・バンドみたいな感じじゃなくて、何かすごく新鮮な閃きがある。いまのバンドで言うと、ブラック・リップスとかと同じ鋭さを持っている。ディヴァインのカヴァー“You Think You're A Man”でのギター・リフの斬新さなんて、ヤー・ヤー・ヤーズみたいなんだよな。いまのエレクトロで完全に使える。

『Enter The Vaselines』は、リマスタリングされて音が格段に良くなっている。そうすると、普通なら粗が見えてきてしまう気がするんだけど、彼らは演奏がすごく上手いんだよね。ギターとか、本当にタイトに弾いていると思う。ライヴも本当に上手い。テープを使ってるのか、ドラム・マシーンなのか、生ドラムなのか、よくわかんないけど、すごく上手い。ドラム・マシーンだとしたら、本当に真面目に打ち込んでいると思う。ハイハットとかを使わずにリムを使っているところとか、音がうるさくならないようによく考えているなと思う。

僕は青春は青春として置いておく性格なので、たぶん彼らの〈サマソニ〉でのライヴは観ないだろうけど、でも〈サマソニ〉であの“Molly's Lips”の自転車のクラクションの音が聴こえたら泣いてしまうと思う。