
上田現のラスト・アルバムと同時に、彼が2002年まで在籍していたミクスチャー・バンド、LA-PPISCHがビクター時代に発表した9作品がすべて紙ジャケでリイシューされる。ここでは、約20年に渡って日本のロック・シーンの最前線に立ち続けた彼らの歴史を振り返ってみよう。
時は遡って84年。MAGUMI(ヴォーカル/トランペット)と狂市(現在は杉本恭一、ギター/ヴォーカル)率いるパンク・バンドと、上田現(キーボード/サックス/ヴォーカル)所属のテクノ・バンドが合体。tatsu(ベース)と雪好(ドラムス)を加えた5人でLA-PPISCHを結成する。2年後には無名ながらフィッシュボーン来日公演の前座に抜擢され、キャプテン・レコード(当時のバンド・ブームと共振していたサブカル誌「宝島」主宰のインディー・レーベル)よりミニ・アルバム『ANIMAL BEAT』(キャプテン)を発表し、徐々に頭角を現す。
そして87年、大ヒット曲“パヤパヤ”を収めた和製スカ・パンクの礎とも言えるファースト・アルバム『LA-PPISCH』(スピードスター)でメジャーへ進出。上田&狂市という2大ブレーンによる音楽性の高さ、破天荒なライヴ、メンバーの素っ頓狂なキャラクターという三拍子が揃っていた彼らは、一躍シーンを代表する存在へと浮上した。
さらに翌年にはメンバー全員が楽曲制作に携わることでオリジナリティーを増した『WONDER BOOK』(スピードスター)を、翌々年にはトッド・ラングレンをプロデューサーに迎え、オリコン初登場2位を記録した『KARAKURI HOUSE』(スピードスター)を発表。〈シュール・センティメンタリズム〉とでも言うべきユーモアと哀愁が入り混じった歌詞と、スカ、パンク、ニューウェイヴ、ダブ、レゲエ、ファンクなどを放り込んだ雑食サウンドで唯一無二の音世界を確立した。
以降も順調にリリースを重ねるが、11作目『HEAVEN ELEVEN』(ユニバーサル)発表後の2001年に雪好が、続く2002年には上田が脱退。バンド自体も2003年の12作目『POP』(スピードスター)を最後に活動休止を宣言する。
そして訪れた2007年。デビュー20周年の節目に彼らは活動を再開。復活ライヴとなった〈RISING SUN〉では雪好を除く4人が揃うはずだったが、上田は腰痛を理由に欠席(その後のツアーには東京公演のみに参加)。バンド内で最年長だった彼は頻繁に〈ジジイ〉扱いされ、〈腰痛とは、現ちゃんらしい……〉とファンは心配しつつも温かく回復を待っていたが、実際の病状は非常に深刻な状態だったのである……。